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きょうも良き日


by neko

Melaka


 Melakaとはマラッカのマレー語表記である。これでマラッカと発音する。
 クアラルンプールからバスにのり、高速道路を降りるまでは早いが、停留所にとまっていくのでマラッカのバスターミナルまで2時間以上かかり、ターミナルからはタクシーで市内に行く。
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 有名な赤い教会が建つひろばから、川を渡りチャイナタウンに行く。
 チャイナタウンのメインストリートは観光客でいっぱいだけど、一本裏道に入ると情緒ある中華風でマレーコロニアル風な街を楽しめる。
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 イタリア?と思えるポルティコ風の歩道。
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 さらに裏側には長屋が建ち土産もの店に並んで、アーティストが作品を作って売る店が点在していて丁寧に見ると時間がいくらあっても足らない。
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 看板が面白い。LEE MIN ENTERPRISE 李明商店である。エンタープライズとは気負っている。
 小説漫画専売店と古い字体で美しい書体を使って書かれている。MENJUAL・・・の文字は完全なマレー語でわからない。右の星愿・・・の漢字は読めないし意味もわからない、社名のようだが。
 左のKOPIはもちろんコーヒー。「カフィー」と英語で発音するが、おじさん、おばさんになると「コピ」とマレー風に発音する。中国語だと咖啡、カーフェイである。
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 道教寺院で。
 マラッカの小さな街中に、仏教寺院、ヒンドゥー寺院、モスク(イスラム寺院)、それにキリスト教会が軒を並べている。
 マラッカは東アジアとインド、ヨーロッパを結ぶ海路に面した国際港だった。さまざまな民族と文化と宗教が根付き、共存してきた土地だ。
 マレーシアの諸民族(マレー人、中国人、インド人だけじゃなくポルトガル人の子孫もいる)にとってもごく初期のころから移住してきた土地であり、植民地としてマレーシアを占領していたポルトガル、オランダ、イギリスそして日本にとっても重要な土地である。
 日本の敗戦で再びイギリス領になり、1957年マレーシア独立宣言をあげたのが、このマラッカである。
 実に446年間の闘いの結果であるが、融合と共存の結果でもある。だからこの独立では流血事件が起きていない。
 マレーシアは民族紛争の絶えない現代世界にあって、平和な多民族共存国といえる。
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 日本にキリスト教をひろめたザビエルの布教活動の拠点だった「セントポール教会」跡。
 ザビエルはマラッカで一人に日本人に出会う。ヤジロウという名の彼の礼儀正しい態度に接し、日本に興味を持ち、ここから渡ったという。日本でもザビエルは、庶民から信頼され尊敬された。
 彼はポルトガルの宣教師だが、生まれはスペインのバスク地方である。バスクといえばスペインの少数民族で、虐げられた民族の記憶がザビエルの中にも生きていたことだろう。異民族への彼の友好的な態度の元はここにあるんおだろう。
 ザビエルの人柄、民族共存の思想は生きている、などと唐突なことを思った。
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 屋根の無くなった教会のなかで、みやげ物売りが所在無さげにしていた。
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 クルージング。川面から街の裏側を見る楽しさ。

 マラッカの一日の終わりはニョニャ料理。
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 ニョニャとは、華僑=中国人と結婚したマレー人の女性のことで、中華料理とマレー料理のミクスチャア料理である。ミクスチャアなんてマレーシアに降り立ったとたん味わったと思っていたが、今までのどの料理とも違う中華料理だった。
 文化とは交じり合うことだ、とおいしい結論を得た。
by kanekonekokane | 2008-04-04 00:57