東京へは、TPAM(Tokyo Performing Arts Market)というイベントに参加するために出かけていた。 3月の始めの東京は寒くて、春の気配も見当たらない。
こんなビルのなかで過ごしていたら、当然といえば当然なのだが、、、、
コンテンポラリー(現代)な舞台芸術の見本市なので、前衛的な(こんな言葉も死語に近いのかな)作品の紹介が多かった。
その中で、最終日に見たソウルの劇団「シアター・ムーリー」の「マクベス夫人」には本当に鳥肌が立った。
シェイクスピアの作品を、韓国の感性と民族的な技法で見事にリメークしている。
生演奏のパンソリが効果的な使われていた。パンソリのソリ(唄)は伝統的なものに思えたが、パン、つまり太鼓のほうは、伝統的にはプクが一台だけだが、このときはさまざまな打楽器を使って劇に緊張感を与えていた。
パンソリの唄の意味は不明だが、われわれ(日と韓)に共通する何かがあって、一声で私の血液は煮えた。
それから造形作家が役者として出演していて、彼が即興的に砂絵、泥絵などを芝居の中で作り出していたのだが、この造形の劇的な使い方がすごい!!
韓国の伝統と現代の融合、自らの民族性と他のものとも混成には目を見張るものがある。日本もそういう試みはずいぶんあるけど、こういうのを見ると日本より韓国のほうがよい結果を出していると思ってしまう。
教育や行政が民族芸術をきちんと守り、発展させてきたか、どうか、という差がありありと見ることができた。
韓国から来ていたKAMS(Korea Arts Management Service)の展示ブース。マクベス夫人のポスターが貼ってある。
「どういう活動をされているんですか?」と聞いたら、大学をでたばかりか、という若い女性の担当官が流暢な英語で答えてくれた。
「ソウルでもこのようなイベントをしています。もっと規模はおおきいですが。それから、エディンバラフェスティバルなんかにも、派遣していますよ、もちろん公費で、」
韓国は、国家予算は日本の10分の一でも、文化予算はほぼ同額である。つまり日本の10倍文化にお金をかけているということだ。韓流も一時のブームなんぞではなく、実は韓国の文化戦略の結果なのだ。
たぶん彼女の国のほうが、文化では日本を上回ることになるだろう、確実に。
もっとも日本は明治以前は、ずっと韓半島から文化が伝わってきたのだから、元にもどったと考えればいいわけだが。
こんなビルのなかで過ごしていたら、当然といえば当然なのだが、、、、
コンテンポラリー(現代)な舞台芸術の見本市なので、前衛的な(こんな言葉も死語に近いのかな)作品の紹介が多かった。
その中で、最終日に見たソウルの劇団「シアター・ムーリー」の「マクベス夫人」には本当に鳥肌が立った。
シェイクスピアの作品を、韓国の感性と民族的な技法で見事にリメークしている。
生演奏のパンソリが効果的な使われていた。パンソリのソリ(唄)は伝統的なものに思えたが、パン、つまり太鼓のほうは、伝統的にはプクが一台だけだが、このときはさまざまな打楽器を使って劇に緊張感を与えていた。
パンソリの唄の意味は不明だが、われわれ(日と韓)に共通する何かがあって、一声で私の血液は煮えた。
それから造形作家が役者として出演していて、彼が即興的に砂絵、泥絵などを芝居の中で作り出していたのだが、この造形の劇的な使い方がすごい!!
韓国の伝統と現代の融合、自らの民族性と他のものとも混成には目を見張るものがある。日本もそういう試みはずいぶんあるけど、こういうのを見ると日本より韓国のほうがよい結果を出していると思ってしまう。
教育や行政が民族芸術をきちんと守り、発展させてきたか、どうか、という差がありありと見ることができた。
「どういう活動をされているんですか?」と聞いたら、大学をでたばかりか、という若い女性の担当官が流暢な英語で答えてくれた。
「ソウルでもこのようなイベントをしています。もっと規模はおおきいですが。それから、エディンバラフェスティバルなんかにも、派遣していますよ、もちろん公費で、」
韓国は、国家予算は日本の10分の一でも、文化予算はほぼ同額である。つまり日本の10倍文化にお金をかけているということだ。韓流も一時のブームなんぞではなく、実は韓国の文化戦略の結果なのだ。
たぶん彼女の国のほうが、文化では日本を上回ることになるだろう、確実に。
もっとも日本は明治以前は、ずっと韓半島から文化が伝わってきたのだから、元にもどったと考えればいいわけだが。