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ねこの生活と意見 nekokane.exblog.jp

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清流ハーフマラソン完走


ロードレースには初めての参加。
72時間内にPCR陰性でないとスタートできない。陰性であるという、青い紙ブレスレットをつける。
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7千人というランナーと走るので全コース集団の中を走るせいか、楽な気分で走れた。
レースだから頑張ってしまうのではないか、という心配はあったが、むしろペースが守れたような気がする。
スタートから小雨で暑くなくていい。ゆっくりとしたペースで走ろうと思ったが、金華橋への登坂でいきなりペースを落とす人がいて、込み合う中を追い抜いてゆく。沿道の応援が励みになる。
登りでペースが落ちる人が多いだろうとは予測できたが、下りでブレーキをかけるランナーがいたり、水たまりをよける人が多いのには少しびっくり。トレイルランナーでは考えられないと思う。
1時間58分01秒。直前のトレーニングでは2時間20分ほどだったので、2時間を切りたいという目的は達成できた。この年でロードランを初めて3年ほどなので悪くない結果。

走り始めて6年くらいになるが、トレイルも含めて、自分がレースに参加できる回数は限られている。走ること自体はまだまだ可能だと思うが、レースをあきらめる時期はそんなに遠い未来ではない。あと2年?、つまり75歳くらいまでかな。

# by kanekonekokane | 2022-04-30 10:29 | トレイルラン

熊野古道小辺路


11月に小辺路、高野山から熊野本宮大社まで65㎞の道を歩いた。
大辺路を歩いてから10ヶ月ほどたって、あのロングトレイルが印象に残っている。車の往来する国道、生コン工場の敷地のなかになっている道、鉄道のおかげでズタズタになった古道、いまは高速道路工事にはばまれて工事フェンスの横を歩く道・・・集落の中は古道の風情が消えていてもまだ良いが、こういう道を歩いたり走ったりがおもしろいのか? といえば面白くはない。
しかし、歴史の道は歴史によって変遷し消えたり付け替えられたりするものだ。
参詣道は、それ以前から使われていた庶民の生活路を、都の貴族のために「段築」(盛り土をして高低を均した道)にしたり、切通しにしたりしたわけである。高速道路もまた歴史だと思えば、古道は生きている、と開き直れる。

熊野参詣道だという認識が景色を変え、歩く意味をもたらしてくれる。

小辺路は高野山から始まる。岐阜を終電で出て、新幹線、大阪地下鉄、南海と乗り継ぐ。紀ノ川を電車がわたると「紀ノ國」に入る。夜なので家々に光と闇をながめていると、紀伊半島の山々に入っていくんだという感慨がわいてくる。
終発のケーブルカーにはわたし一人。
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ケーブルカーから、やはり終発のバスで高野山金剛峰寺についた。

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山門にむかって手を合わせて山行の無事を祈る。
霧が時おり水滴になって落ちてくる。これでは今夜の泊りは濡れた地面にツェルトか・・・と覚悟を決めるが、できれば避難小屋まで行きたいとも考えながら走り出す。

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ろくろ峠からさっそく道を間違えて女人堂のほうへ100mほど走って気が付いた。夜の道はバカみたいなロストをする。気をつけよう。
しばらく細い林道を通ってから護摩壇ドライブウェイとかいう国道に出る。霧はいよいよ濃くなり、雨も降ってきて、寒くなる。舗装路が続くので行けるところまで夜の道を走ることにする。
トレイル入るころにはカラダも慣れてきて快調に走る。急斜面を下り、大股の集落に入る。外灯だけがこうこうとしている。当たり前だがここで起きているのは私以外だれもいない。大股から急斜面を登ると無縁仏なんだろうか、石仏があった。
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もうすぐ東の空が明るくなるだろうと時間になって菅小屋に着いた。着替えて濡れた服をつるしてシュラフに潜り込んだ。
翌朝、話し声で目が覚めた。7時半。いい時間だ!晴れると思っていたが曇りだ。なんてこった!
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菅小屋は快適で本当にありがたかった。寄付箱に千円を入れて出発。
話し声の持ち主は伯母子岳の手前で追いついた。
山頂は樹林がなく石灰岩地形のような穏やかの山である。しかし風が強い。夏タイツにショートパンツというスタイルなのでそうそうに下る。樹林に入るとこの格好でも十分。気温は5,6度というあたりかな。
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ここから古道らしく山頂を避けてなだらかな道が続く。貴族の参詣に仕えた先ぶれのようにぐいぐいと走る。
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こういう案内看板が結構あるのだが、これが気に入った。
この山奥で宿を営み、牛を飼い、畑ではナンキンとジャガイモを作って客に供していたという。目のまえの林の上に空想してみると確かにそういう宿があり、畑を耕していたんだろうとわかる。
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土を平にしたのが想像できる。
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秋である、秋である、秋。
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弘法大師もいる。
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どなたなんだろう?ひっそりと祀られている。

途中で眠くなって、昨夜の短い睡眠の負債を20分ほどだけ返済し、やっと西中の集落につくすでに16時だ。なんとか果無集落は明るいうちに通りたいと思っていたが、ムリだと思ったら走れなくなる。おまけに雨が降ってくる。ああ十津川温泉でもとまるか・・・と弱気になったが、雨が止んだらそんな考えはどっかへ消えてしまった。
昴の郷を過ぎる頃はとっぷりとくれて、果無へのつり橋は、時空を超えるファンタジーへの文字通り「橋」である。
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果無集落はひっそりとして足音も忍び、ヘッドランプを手で覆って家々に遠慮しながら通り過ぎた。

濡れてない枯葉のたまっているところがあれば、そこが今夜の宿泊地になるので、きょろきょろしたり、森の中に少し入ってみたり登っていく。
山口茶屋跡の平地をうろうろしたら、大杉の下が全く濡れていないのでそこでツェルトを張る。分厚い枯葉層の断熱とクッションは最高である。
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翌朝、八十八か所の石仏に導かれながら果無峠へ。

八木尾へ下ろうという当たりで熊野川が見えた。やっと来た!
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中辺路に合流するあたりから、もうすぐだと思うと脚はぐいぐいと走り出す。祓所王子についた!もう本宮の鳥居が目の前にある。
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とりあえず大斎原まで行き、熊野川のほとりについた。
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旅は終わった。65㎞、25時間。24時間を切りたいと思っていたが、まあいいではないか上出来である。


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カフェCHOUXでゆっくりと時間を過ごす。温泉に入ろうかとも思ったが、いまはこれが天国だ。
天国は続きがあったほうがいい。カフェのネームの通り名物のシュークリームも。
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シュークリームが100点としたら、チーズケーキは120点かな、
でも予約の客がひっきりなしにくる、それも横浜ナンバーと大阪とかも。みなシュークリームを持って帰る。
しかしチーズケーキのほうが味のオリジナリティがあり、しっかりとした食感がいい。

高野山の山上の極楽から、この世俗の天国までの旅。
しばらくは熊野古道から離れらない。

# by kanekonekokane | 2021-12-02 14:42 | 熊野古道

新宮までピアノコンサートを聴きに行く。わざわざ?そう、わざわざ。新宮の丹鶴ホールを観たかったことと、新宮出身のピアノニスト向井山朋子さんの「KUMANO]と題されたコンサートを聴くためである。
KUMANOというタイトルに何となく惹かれるのは、わたしが熊野が好きだからであり、映像を使ったコンサートのようで名古屋公演に行けなったので、ということもあった。
しかし、新宮まで3時間かけていくのだから、千穂ヶ峰に行ってみようと思ったのである。

速玉大社に詣でる。
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さっそく千穂ヶ峰の登山口へ。民家に入っていく道のような感じで、さっそく迷ったかな?とおもうが、進んでみると古い案内版があった。
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いきなり急な道をのぼり、しばらく行くとひょっこり山頂に出た。
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北側は絶壁で真下に熊野川の河面が見える。東南に流れてきてこの山にぶつかり大きく蛇行してほとんどUターンのように北西に流れを変えてから山を迂回するように再び東南にながれ太平洋に流れ込んでいる。地図を見ていると、千穂ヶ峰という山に地形的な意味がありそうで興味深い。
実際に登ってみると古い火山岩でできているので、河口で噴火した山に川がせき止められ、行き場を失った水はやがて海へとあふれ出たのだろう。
この絶壁の川に対する「意志」みたいなものが感じられて、一層興味深くなる。
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展望台からは河口が見えている。山の周りを蛇のように川が巻き付いているイメージが湧いてくる。
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越路峠へ行かずに神倉神社へ谷筋を降りる。こちらがわは緩やかである。
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神倉神社の参道に出ると新宮高校のサッカー部だと高校生といっしょになって石段を駆け上がった。
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神社から新宮と太平洋が一望できる。
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ご神体のことびき岩に寄り添う神社はやはり美しい。このように彩色は「熊野」を思わせる。紀伊半島の人の色彩感覚は少し特異なのだろう。東南アジアに近い。
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この石段はトレランにとっても手ごわい。だから、というより神域への敬意をもって、少しゆっくりに踏みしめるように降りた。
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神社から街を抜けて速玉大社に戻る、3.8㎞1時間10分。
それから熊野川温泉で汗を流してから、丹鶴ホールへ行く。
新しいホールへは満席。文化への期待が大きさ、この街の文化度も低くはないのだろう。これを維持していってくれることを願うが、ホールもコンサートもわたしには今ひとつだった。ホールはなんだか「密度が低い」感じがした。客の歩く音が妙に大きいので、どうしてかな?と思ったら、客席の形を変化できるシステムで、つまり席の床の下は空洞なのだ。密度が低いのがそのせいとも思えないが、どこか緻密さに欠けている空気がある。ロビーの狭さも「ひろば」としてのホールを否めている感がある。
コンサートは映像の完成度がひくく、ピアノニストの少女期の話を自身がするのだが、発声が悪く何を言っているのかわからないことが致命的だった。

終演、また3時間の道を、熊野川温泉の暖かさの含めて、さまざま感慨を反芻しながら帰宅した。




# by kanekonekokane | 2021-12-01 21:40 | トレイルラン

 どこかのオペラ座の地下に夜な夜なアーティストがたむろするバーがある。
 ビールをのんだり、愚痴を言ったり、そして歌ったり・・・
 舞台では、新型コロナの渦中、マスクをしたままでオペラ「オテロ」の稽古が進んでいる。
「オペラ座地下のアーティストバー」_f0064415_17175843.jpg
 
 コロナ禍のオペラ座の設定だから、登場人物はマスクをして、手消毒をして、ディスタンスをとる、ということにした。ただ歌う時はマスクを外した。バーのマスターのセリフで「ココではマスクはずして歌っていいよ、ワクチンもうったし、抗原検査もしているし」と言っている。

 実際の稽古では、マスクどころか集まることがキケンということでオンラインで歌も台本読み合わせも始まった。なんとか対面の稽古になったが、ひとりづつの稽古でしかできなかった。先月末になり緊急事態宣言解除の方針が確実されるようになり、ホールで密を避けながらマスクをつけて全員での稽古がようやくできたのだ。
 歌う時のマスクを外すことになったが、本番当日のゲネプロではじめてマスクなしで歌った。セリフのときはマスクで、ピアニストと俳優はずっとマスクのままである。
 演劇ではマスクを外して上演しているが、この芝居仕立てのコンサートはあくまでも「コロナ禍」のオペラ座地下のアーティストバーを描いているのである。
 「そこまでしなくてもいいのでは」とか「コンサートくらいは日常から離れたい」という意見もあったが、マスクは衣裳のようにドラマの設定上必要なのである。

 当日のプログラムにわたしは以下のようなコメントを書いた。

 『コロナ時代の舞台』
  コロナは音楽や演劇といった舞台芸術を壊滅させるかもしれない、と思えるほどのインパクトをわたしたちに与えました。
  音楽学の岡田暁生さんは『音楽の危機-《第九》が歌えなくなった日』というショッキングなタイトルの著書でこう語っています。
 「 わたしは『音楽とは、人々が集まって一緒にやる、一緒に聴くものだ』と信じている。しかし考えれば考えるほど、これまで何千年と続いてきたこの人類の風習   
 に、何か決定的な変化が起きかねない状況が訪れているという予感がしている。」(2020/9 中公新書)
  そして、同書でこうも語っています。「 世界中で『生』の音楽が『消えた』という事実、そして音楽がなくなるかもしれないという危機が目の前にあったということ 
 を、伝えていく意味は大きいと思う」と。
  この芝居仕立ての短いコンサートは、オペラを紹介しそのファンを増やしたいという想い、それにオペラに描かれた前時代的なジェンダーというものを、現代の目か 
 ら少し見直しておきたいという想いから書きました。しかし大きな問題は、コロナ禍での稽古も本番もできるのだろうか、ということでした。そうならば劇中の「オペ 
 ラ座」もコロナ禍中に「オテロ」を稽古していたとしたら、と思って台本を書きました。そのことで「危機が目の前にあったということを、伝えていく」ことになるの  
 では、と。
  「芝居というものは、時代の様相をあるがままにくっきりとうつし出す鏡」(シェイクスピア「ハムレット」より)
  このコントでつづったコンサートも、また「鏡」でありたいと思うのです。

 2日からのセリフを入れた稽古ができ、4日間で仕上げた。この集中もコロナのおかげなのかもしれない。
 この芝居仕立てのコンサートでは、俳優の二人が大きな役割を果たした。劇団「芝居屋かいとうらんま」の後藤卓也さんと一ノ瀬つぐみさんが、バーのマスターとママ役で狂言回しに徹してくれた。弁士風な少し滑稽な言い回しとシリアスなアリアとのアンバランスも、計算通りメリハリを作ってくれた。
 出演の歌手たち、ピアニストの河原忠之さん、音楽監修の倉知竜也さんの奮闘にも感謝したい。

# by kanekonekokane | 2021-10-13 18:35 | 音楽

熊野古道をぜんぶ踏破してみようと思った。
大辺路 紀伊田辺闘鶏神社~那智補陀落山寺_f0064415_14112323.png
トレイルランをはじめて、それまで興味のなかった何の変哲もないハイキング道や集落の道とか林道までもがおもしろくなってきた。
オルレとかジャランともいうべき道々である。(オルレは済州地方の朝鮮語で細道、ジャランはバリの言葉で道)
以前は車道脇を歩いたり走ったりは好きではなかったが、いまは特に嫌う気分は少なくなった。そういう気分にならないと大辺路はやり通せない。そのくらい舗装路を行かなければならない。

1日目(2/2)
紀伊田辺駅に22時41分到着。大辺路と中辺路の起点である闘鶏神社を参拝。
車の行きかいの多い県道を走り出した。
ザックの後ろにペツルの小さなヘッドライトを赤色点滅させて付けてある。ヘッドライトはバイオライト330。
SOLOMONの25Xにモンベルシュラフ#3、モンベルULツエルト、食糧1.5日分、水1L、エヴァ―ニューアルコールバーナー、ダウンインナージャケット、モンベルパーサライトジャケット、モンベルアクショントレールタイツなど詰めて4.5キロほど。
ウエアは裏起毛のモンベルタイツにショートパンツ、メリノウールTシャツ。
とにかく街を外れて冨田川まで行かないと、ツエルトは張れない。神社とか公園とかも寝場所としてあり得るのだが、やはりアヤシイ。
日にちが過ぎて1時に冨田川にかかる潜水橋についた。まったく眠くなくしばらく川沿いの道を走るが、急に風が出てきた。これ以上走っては翌日にさわると思って、1時半、河原の枯れ草の上にツエルトを張った。夜中強風、気温も低くカラダが冷え込む。

2日目(2/3)
5時前に起きて走りだす。手足が冬山のときの用に冷えてなかなか温まらない。
草堂寺に7時について、ようやく日が登りあたたかくなる。早朝から墓参りや掃除の方が来てあいさつをしてくれる。トイレを使わさせてもらう。
フリーズドライ食を食べようかとも思ったが、安居(あご)の渡しの予約時間に遅れたくないので、プロテインバーやようかんで朝食。
草堂寺からトレイルになり富田坂を快適に越える。安居の渡しに予定通り9時半に到着。かなりがんばった。
ひとりでも500円なので、申し訳ない気分。ふかぶかと船頭さんに頭を下げて船を見送る。
大辺路 紀伊田辺闘鶏神社~那智補陀落山寺_f0064415_15595679.jpg
渡しからいきなり仏坂の急坂で、トボトボと歩いて登る。周参見へは川沿いの車道、長い!
12時、周参見王子神社。折から節分祭で雅楽が聞こえてくる。
境内の隅でお湯を沸かしてフリーズドライを食べる。向こうにオークワがあるので、食糧を少し買う。
馬転坂は生コン工場を横切って入り口に行くのだが、通行できないので迂回を促す掲示がある。まあ、いけないことはないだろうと急で細い階段状の道を上る。こんな道を平安時代の人が登ったのだろうか?と思えるような道で、もしかしたら今は線路があるあたりに道があったのかもしれないと思う。古道は鉄道、車道ができるたびに付け替えられたり、失われたりしてきたはずだ。そうでなくても平安時代から明治まで崩れて変更されたり、新たに楽な、あるいは近道も造成されてきたのに違いない。
馬転坂の後半は低木がまばらに生えた海が見える楽しい道になり、最後に海沿いの国道に出る。
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西浜から山へ入る。分岐点の国道沿いに太い丸太が寝かせてあって、しばらく座って休む。さすがに疲れてきた。長井坂はまだまだ遠い。
山間の車道を3キロ半ほど歩くと長井坂に入る。冬の早い日没が迫ってくる。
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高低差のある山道の低いところに土を積みできるだけ水平道にしてある。段築とか版築というらしい。
見老津が見えてきた。
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急坂を下れば見老津に入ってしまうので、この山の中で寝たほうがいいだろう。18:30。
フリーズドライを食べて、カラダを温める。
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平なところにツエルト張ったのだが、枯葉の上なので夜中にカラダがツエルトから抜け出たりして、やはり寒かった。

3日目(2/4)
少しゆっくり起きて7時出発。見老津を過ぎて、海沿いの国道を行く。
江須崎への入り口で、急に岬まで行きたくなって半島の遊歩道から江須崎へ渡る。
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自然林が残っているが荒れ放題でもある。灯台を見て急いで古道へ戻る。
10時、道の駅すさみで休憩、トイレ。デコポンを一袋買う。これが道中のおやつには格別であった。
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海沿いの道、平見という海岸段丘に開かれた集落を行く。
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平見から平見へ坂を登ったり下りたりする。家々や神社の石積みが美しい。
4時田波のAコープで大休憩。大福やらサンマ寿司を食べる。甘いものを買ってザックに詰め込んで、飛渡谷道に入る。串本に明るいうちにつきたい!しかしもう脚がかなり疲れている。
串本に近い海辺の国道沿いに「尾鷲牛乳」のソフトクリームを食べる。これはうまい!この旅でいちばんの幸福感だった。
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串本なのに尾鷲牧場?まあいいではないか、かなりこだわって牛を育てミルクを販売しているようだ。
日のあるうちに串本に入り、無量寺を参拝。
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街中をコンビニ目指して走る。コンビニより串本温泉の看板が目に留まった。しばらく迷ったが温泉につかることにした。一気に真新しくなった気分で暗い国道を戻り、くじの川沿いに走る。道は高速道の工事の中を行く。とりあえず海岸に出て砂浜で寝ようと走る。
姫を過ぎて大浦の海岸の砂浜でツエルトを張る。強風でバタバタうるさい。コンビニで買ったそぼろ丼を食べる。

4日目(2/5)
6時に起きて走り出す。ちょうど日の出でたくさんの人がカメラを構えている。そんなにいいポイントなの?と海を見ると岩島に穴があいていて、その穴に太陽が入るのだ。
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偶然だったが、これは素敵だ!
古座から海辺を行く道と山を行く道が分かれている。わたしは山を行く道を選んだ。9時、虫食い岩。道の駅はまだ空いてなく。買い物ができないから空腹のまま先を行く。
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こういう色彩感覚がどこか東南アジア風である。
峠の地蔵への急坂の前に最後のデコポンを食べて、急坂を登る。
大辺路行程中、いちばん山らしい山である八郎山。
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はるかに太平洋と紀伊半島の山々が見える。海岸の崖淵をいくより、こういう山道に方が安全で確実だったんだろう。古代の人たちの旅の大変さが身に染みる。
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石組が見事。
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掘割。岩を砕いて割れ門のように道をつけている。
山を越えれば、那智まではたいへんな登りはない。ひたすら走る。那智駅発終電17時25分には十分時間があるが、なんとなく先を急ぐ。那智の街中を走り抜け、いよいよ補陀落山寺への道に入る。残った脚力を出し切るように境内に入る。16時ちょうど。
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補陀落山寺
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熊野三所大神社
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那智駅に隣接の温泉に入り、駅前のレストラン「ボヌール」で急いでビールを飲み、パスタを食べて、電車に乗った。


# by kanekonekokane | 2021-04-07 16:03 | トレイルラン