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きょうも良き日


by neko
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仕込みは続く


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舞台監督の仕事をひとことで言うと「仕切る」ということだろう。
思えば、音楽監督、音楽リーダーも、もちろんテクニカルのチーフも、レセプション(表方)チーフもすべて、「仕切って何ぼ」の仕事である。
仕切る=自分の力で考え、判断して、指示を出す。これができなければ「現場」は動かない。
舞台監督は、劇場で働くすべてのスタッフと演奏者を仕切らないと一日が終わらない。

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照明バトンがトブと、台組みが作られ、布のケコミ(台の横側)、パンチカーペットが張られる。
プレーヤーが楽器を置く。
転換のある楽器もあるし、何かの時に動かしたりするので、カーペットの上にテープで位置をしるしをつけておく。これを「バミリ」というのだが、語源がよくわからない言葉である。

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スポットを一台づつあたりをとる「シュート」という作業。
「シュート棒」という長い竿でスポットを動かして向きを変えていく。
当然、プレーヤーの立ち位置、楽器の位置が決まっていないとあたりはとれない。

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シュート棒ではどうにならない時は、こうやって照明バトンをおろして手で調整する。
しかし、バトンが9mほど上にトンだ位置で、ちょうど良いあたりになるようにカンで合わせるわけだから、職人技である。

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曲に合わせた明かりを作っている間、プレーヤ-にかわってダミーが立ち位置にたっている。
今日のダミーは太鼓チーム「須鼓路」のみなさん(ありがとう)。

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音響さんがマリンバのマイクの位置を微調整している。
マリンバのマイクに入ってくる音はマリンバばかりではない。むしろ隣や後ろの太鼓の音の方が、そばにあるマリンバの音より、大きくマイクに飛び込んでくる。
マリンバが小さいといって、マリンバのボリュームあげると、太鼓の音も大きくなってしまう。
周囲の音をひろわない性質のマイクもあるのだが、それだとマリンバの低音から高音までの広いレンジをカバーできない。マイクを鍵盤に近づけるとマレットにたたかれてしまう。
それでなくても、唸りを交えた低音から金属音に近い木の音を出すマリンバは、音響泣かせの楽器なのである。

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こういう作業をへて、はじめてプレーヤーは音が出せる。
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by kanekonekokane | 2007-04-24 23:43

搬入・仕込み


名古屋芸術創造センターの搬入は、舞台奈落から大迫りを使っておこなう。
100%搬入しきらないと、次への作業ができない。
搬出も100%撤収できていないと、迫をおろすと危険なので搬出できない。
普通の劇場より3割くらいは、時間と人手が要る。
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これは、迫が降りきったグラウンドレベルから3階以上はある舞台を見上げている写真。
舞台から奈落を覗いているスタッフの顔が見えるし、さらに客席の天井灯が見えている。

搬入し終わると、仕込が始まる。
舞台監督のユキ(赤いヘルメット)が何やらしきりにスタッフに説明している。
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by kanekonekokane | 2007-04-22 21:29

路上


この写真をあげるのは、決して「告発」でも「批判」でもない。
むしろ「自慢」であり「楽しさ」である。
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音騒鼓の前の道であるが、路上駐車がスゴイ。
左手に見える車はすべて歩道に止められているし、右側もいっぱいの路上駐車の列である。
さらに向こう、ちょうど音騒鼓の前あたりであるが、軽トラックとフォークリフトとトラックが折り重なるように離合している。

不謹慎かもしれないが、不整然、混沌、というのはどこかココロが和む。
危ない、といえば危ないのだが、無法といわれればその通りではあるのだが、このアジア的光景が好きである。アジア的といったが、イタリアやポルトガルあたりでも似た様な光景を覚えている。
うまくいっていれば、いいわけである。
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路上で荷物を積むなどは当たり前。
GONNAも路上でボール遊びをするのが「当たり前」になっている。
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by kanekonekokane | 2007-04-19 23:17

喜べない自然


「侵略的外来種」という困ったものがある。
もともと日本にはいなかった動植物が日本で繁殖して在来品種の生存を脅かす、というものである。
写真は水場川にすむ「アカミミ亀」。
アメリカあたりに生息するの亀で、「みどりがめ」はこの亀の幼少期の名前である。
ペット用に大量に輸入され、飼われ、やがて捨てられ、日本のイシガメなどの生息場所に進出して、イシガメやクサガメを追い出しているらしい。
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韓国でも輸入禁止になっているが、日本は年間100万匹近くが輸入されている。
おかしなことにアメリカではこの系統の品種の小亀は販売が禁止されているが、輸出は許されているらしい。
例によって、アメリカの言いなり?
「侵略的外来種」カメばかりではない。植物ではセイタカアワダチソウや西洋タンポポがそれだ。
音楽も「侵略的外来種」がハバをきかしているし、何より我が国土に居座るアメリカ軍こそが「侵略的外来種」ではないのか?
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by kanekonekokane | 2007-04-19 02:11

水場川の鳥たち


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水場川にも野鳥たちがすんでいる。
道路からコンクリートや鋼鈑の河岸までの短い草地のおかげだし、徐々にではあるが、水はきれいになっている。
騒鼓の仕事の手を休めて、カメラを持っていく。
ゆっくり観たこともない川の光景をみていると、この川も「生きている」ということがヒシヒシとわかる。
この日、マガモを6羽見つけた。
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捨てられた自転車の「島」が憩いの場、、、せめて安心してカラダを乾かすことのできる植え込みを川の真ん中に作ってあげたい。

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お世辞にも快適とはいいがたい給水場。
おい、セグロセキレイ、そんな水を飲んでいてダイジョウブか?
そんな水にしたのはニンゲンなのけど。

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あのマガモたちは北へ帰らないのだろうか?
こうして、ツバメが南から春を連れて来たと言うのに、、、、
北に行けば、もっと暮らしやすい池があるんじゃないのか?
ツバメにしても、何を好んでこの川に住み始めたのだ?

それを問われるのは、われわれのほうかもしれない。
少しでも汚すまい。
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by kanekonekokane | 2007-04-18 12:11

水場川


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 GONNA音騒鼓から、東のほうに100mほどいくと「水場川」という川が流れている。
 街中の汚れた水路で、「川」という、流れのイメージからは程遠い。
 北名古屋市の西春あたりの街の排水や、五条川には行かなかった水が、寄り添うように集まって一直線に南に流れている。新川までの5,6キロの「街の川」だ。
 音騒鼓の前にも、この川に注ぐ汚れた水路がある。

 どの河畔をとってもコンクリートや鋼鈑で囲まれている。
 この川もかつては、田畑を潤し、野鳥が舞い立ち、草に覆われた川岸があったのだろうか、と思うと、捨て置けないような愛着がわいてくる。

 写真は新川との合流点である。
 自然の合流は許されず、水門で新川と接している。物々しい施設は排水機。
 新川の水量が多ければ水門が閉ざされて、水場川への水の逆量を防ぎ、逆に水場川が溢れそうになれば強制的に新川にポンプで排水するという防災施設である。
 これらの施設のおかげで音騒鼓も安心していられるのだが、その犠牲として、川の水はよどみ、汚れてしまった。

 小さな湖のようなこの河口の周辺が、公園のように整備され、水辺まで降りることが出来たり、釣りくらいできるようになり、私たちの憩いの場になることを夢見ながらシャッターを切った。
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by kanekonekokane | 2007-04-16 23:37

木、二本。


f0064415_10322368.jpg 朽ちた電柱の中に木が育っている。
 その電柱はブロック塀に挟まれいている。
 住人は、ただ放って置いただけ、なのだろう。「無為の行為」。
 「何もしないで、見守る」それが、人間するべき究極の実践なのかもしれない。
 住む人はやさしさというものを、木は生きていく意味を、通行するものへさりげなく伝えてくれている。
     
     
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 この木のすぐ隣。
 御影石の見事な石垣にも、負けじと育つ木を見つける。
 放っておくと、石垣が壊れるので、きっと切り取られることになるだろう。
 「どうして、こんなところに生えてきたんだろう」などとは、つゆとも思わずに春の日を浴びている。
  (阪急御影駅の近くで、)
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by kanekonekokane | 2007-04-08 10:55

YUKI


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GONNAのマネージャーYUKIは、カラダを使うことが好きで、GONNAでバーベキューなんかをすると必ずキャッチボールや、サッカー遊びをしたがる。
この人のカラダはくねくねしている。
バットを振るときも、ボールを蹴る時も、スーパーで買い物をする時も、カラダが柔らかなロープのようにねじれている。
そのねじれが解ける力が、しなやかなパワーを生み出しているようだ。

写真はGONNAの花見、略してガナミ。
騒鼓の近くの公園でバーベキューを楽しんだのだが、隣接しているグラウンドで、元高校野球部タツヤやユースケを相手にバッティングをしているところ。
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by kanekonekokane | 2007-04-08 01:59

表参道の裏


 所用があって東京に行く。
 話のタネにOmotesando Hillsでも見てみようか、と思ったが、どうも中に入る気がしない。
 かつて同潤会アパートがあって、その雰囲気を懐かしむわけではないが、どうしてこうも日本人は建物の美しさ、文化を大事にしないのだろうか。
 いまのヒルズが美しくないわけではないが、文化の継承性を考えると、スクラップアンドビルドという経済システムの上に咲いた「あだ花」ではないか、と思えてしまう。
 これをつくった建築家は民家(長屋)のデザインで脚光を浴びた人だが、ああいう発想はどっかにいってしまったのだろうか。
 中に入らなかったのは、彼が設計した、岐阜の長良川コンベンションセンターの機能の悪さを知っているので、外から見るだけでいいか、ということもあったのだが。
 どうも、有名建築家、というのは好きじゃない。

 表参道から裏通りをあるいてみた、同潤会のような古い一角が残っているんじゃないかな、と思って。
 青山や神宮は、丘の上の街である。だから裏通りに行くと風情のある坂道や階段にぶつかる。古い店も通りも見つけられなかったが、階段があった。
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 どんな細い筋に迷い込んでも、シャレたCAFEや雑貨店やブティックが住宅街の中にひっそりとある。
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 2階が子ども服のお店、1階がCAFE。店を閉じてから、アンカーの店員が携帯で長電話をしていた。
 もう9時を過ぎた人通りの無いところで、シャッターも無く、キケン過ぎないか?
 東京は世界の大都市に比べれば、まだまだ安全ということなんだろう。
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by kanekonekokane | 2007-04-04 12:59

デジタルカメラ


 「フィルムカメラはシャッターを一枚一枚キチンと押して撮るが、デジタルカメラはいい加減にドンドン撮ってしまう」
 お茶を飲みながら、そんな話をしている。
 大方は昔のほうが良かった、デジタルはつまらない、というスジである。
 わたしは、デジタルカメラで写真を撮っているので、なんとなく言い訳を考えながら聞いていた。
 アナログはシャッターを押す時にセンスが必要であるが、デジタルは写真を選ぶ時にセンスが試される、ということを私は話した。
 アナログの頃は、一本のフィルムで36枚しか撮れない、36回のシャッターチャンスを一回一回思いをこめて押した。
 花を撮る時も、風が止むのを待って花が定位置に戻った瞬間をねらって撮る。息を長い間止めておくので、シャッターを押した後はしばらく息が荒くなった。
 液晶画面で確認なんかしなくても「手応え」というものが感じられた。だが、デジタルはとりあえず、シャッターを切る、何枚でも写して、後から選べばいいわけだから。
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 この写真は、オアシス21でのりんちゃんの演奏だが、1秒間に3枚という連写を使って撮ったうちの一枚である。ブレているが気に入った一枚である。
 これは意図して作画をしているわけではない。偶然である。
 もちろん、偶然は悪いわけではない。むしろ撮影者の意図通りなんて、作為的過ぎるというものだろう。
 これを捨てるのか、とり上げるのか、が私の「意図」であって、それが写真の表現であると思う。
 
 フィルムのころはじっと息を殺して待って「いまだ!」という瞬間に意気込みがこめられた。デジタルになった今、それが薄い。できた絵にも「意気込み」が薄れているんじゃないか、と思うようになっているのも本当だ。
 かつては、限られたフィルムを節約するため、懸命に対象を見つめた、今はどうなんだろう。
 対象を読み込めていないのではないか、被写体に迫っていない、と、思う。
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 この写真は、リハーサル前の音響チェックをしているさだである。
 演奏の時は「この表情」「この瞬間」とめまぐるしく変化する対象に振り回されて、とにかくシャッターを押すことにしか頭が廻らなくなる。
 しかし、チェックという落ち着いた時間の中では、じっくり対象を見ることができる。
 さだは遠くボケているが、さだでしか出せない空気が太鼓セットとともに作り出せているし、それを何とか捕まえられている、と思った写真である。
 対象を見据える。被写体に踏み込む。これを忘れてはいけない。
 
 
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by kanekonekokane | 2007-04-02 00:29