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きょうも良き日


by neko
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菜の花と海津橋


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 GONNA音騒鼓に出かけるときは、必ずこの橋を渡る。
 揖斐川に西から般若谷が合流しているので、運ばれた土砂でくびれたように川が細くなっているのだが、そこに昭和初期から橋が架かっていた。今は2代目の橋である。
 西のたもとに大垣藩の蔵があった旨の石碑がある。
 ここまでは川船で大垣から米を運び、一旦上げて蔵にいれ、海船に積み替えて名古屋、大坂、江戸に運搬していたのだろう。
 このあたりまで満ち潮のときは海水が逆流してくる。
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by kanekonekokane | 2007-03-30 23:16

草競馬


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 私の住んでいる岐阜県海津市のすぐ南となり、三重県桑名市多度町には草競馬がある。
 珍しいことに公営の馬場があるのだ。今年も4月1日に開催予定で、近在の人が弁当を持って、花見をかねて一日を楽しむ。
 ゲートが無いので、スタートがなんともこっけいで、馬はスタートの合図(太鼓の音)と関係なく走り出す。さらには走らずにボーっとしている馬もいてレースが成り立たないこともしばしある。
 そういうことの無いように、いまは調教の真っ最中。

 多度は、製鉄を意味するタタラが地名になったといわれている。タタラは日本語ではなく大陸由来のことばらしい。いまでも多度神社は製鉄や金属加工の神が祀られているし、付近は昔から鋳物産業があり、今でも参道に金属工業の老舗がある。
 このあたりの古代は朝鮮半島からの渡来人たちの村だったのだろう。

 多度神社では、5月に「馬上げ」という荒々しい行事が催される。馬を疾走させて、2mの壁を人馬ともに駆け上るというもの。もし壁で落馬しようものなら、騎手は馬に踏み潰されるだろう。
 この行事を見ていると、朝鮮半島というより大陸の風習を思い起こさせる。朝鮮より高句麗の渡来人たちの末裔かもしれない。
 競馬も馬上げも渡来の文化のにおいがする。勇ましく、かつおおらかである。
 
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by kanekonekokane | 2007-03-29 01:19

さくら


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桜が咲き始めました。
木の全体から見るとまだ1%という感じです。
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by kanekonekokane | 2007-03-29 00:47

camera、再び


 カメラを持ち出してからずいぶんたつ。時間的にはベテランに属する。
 古い私のカメラたちを写してみた。
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 右のはオリンパスOM-1の初期のもの。たぶん1980年だと思う。
この広角をつけたOM-1で撮ったものは、ほとんどが山のぼりと山の花だった。フィルムはフジクロームなので4分の1世紀を経た今も鮮やかな画像を残している。
 プリズムのあたりの三角のてっぺんのところがへこんでいるが、剣岳の八ツ峰を登っているとき岩にぶつけたときのもの。いまでも電池を入れたら撮れる。立派!

 左のは、MINON SIX。蛇腹式の6×6の中判カメラである。中古屋さんで買ってモノクロフィルムを入れて楽しんだ。すでにシャッターのテンションバー(もちろん電動でなく機械式なので)がかたまっているので、このままではシャッターが下りない状態である。

 それから申し訳なさそうに、後ろのほうで写っているのは、SONYのサイバーショットDSC-P1 画素数330万は1999年あたりのコンパクトカメラでは驚異的数値で、値段も7万以上した記憶がある。もう電池がだめで電源をつないだままでないと使えない。

 OM-1の入手以前、最初に買ったカメラは1978年NIKONのNIKOMATで、重いのでOM-1に替えた。その後、銀塩のペンタックス一眼を持ったり、やはり重いのでペンタックスのコンパクトを持ったりした。
 デジタル時代になってSONYを持ったけど、「cameraの深み」には嵌まることはなかった。

 GONNAという被写体を得て、撮る必要に駆られA200を買う。2005年夏、GONNA木島weekに向けてのことだ。それから一年もしないうちに、このcameraは製造中止。コニカミノルタがSONYに吸い取られ、A200も幻の名機となりつつある。

 Digital XはGONNA用になって、山登りや旅のときはA200をもって行くことになるだろう。
 
 Camera、再び。
 ファインダーのなかに、何かを見つけようと思う。
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by kanekonekokane | 2007-03-14 23:38

camera


 このブログについてのnoteに、with KONIKA MINOLTA DiMAGE A200 と私が書いているが、& CANON EOS Kiss Digital X と書き加えた (ついでに今日から少し模様替えをしてみた)。 つまり新しくカメラを買った、ということだ。 今年の1月1日にネットで注文して新年早々にキヤノン(キャノン、ではないので念のため)で撮りはじめている。
 このブログでどの写真がDigital Xかというと、GONNAツアー初日の鈴鹿公演のものからである。
 わたしはカメラが趣味というほどのことではないし、とった写真に機種や撮影データをつけるほどのこだわりは無い。
 しかし、見る人にストーリーを思い起こさせる奥行き感と写し込めてない風景までも想像できる写真が撮れれば、生涯に2,3枚くらいは残しておきたいとは思う。
 写真は誰でも「作品」が残せる身近な表現手段である。
 おそらくこんなに手軽に自己表現でき、他者との関係をビジュアル化してくれるものは無いだろう、特にデジタルカメラは。
 写真は被写体にレンズを向けただけで、撮る人と撮られる人の関係性を見い出すことができる。たとえ観光地で、「スイマセン、シャッター押してくださーい!」と頼まれた時のカチャでもそうだと思う。そのときは誰でも微笑む。その微笑みは「他生の縁」であるし、大げさに言えば「一期一会」なのだ。カメラはそのとき単に写すだけのものから「仲介者」になる。撮った写真も思い出だがそのことも思い出となり、カメラが無ければ成り立たない出会いになる。
 
 いつだったか倉敷で弟子のユキが、大原美術館の前で見知らぬカメラマンから声をかけられ言われるがままにレンズに向かって微笑んだことがある。デジタルカメラゆえにその場で映像が見れたのだが、彼女は実物より美しくそこに微笑んでいた。
 そのときも私はふとそういうことを思った。もしカメラがこの世になかったら、このオジサンはただの不審者だ。しかもデジタルだから、私たちは5分ほどの「パーティー」を開くことができたのだ。カメラは偉大である。
 同じような経験はバリのウブドを歩いていて、子どもたちを撮ってすぐに画面で見せたら、子どもたちがワンさと私を取り囲んで盛り上がった。そのことには写真の出来なんかどうでもいいと思わす喜びがあった。

 カメラを向けるとか向けられとかは、ストレシブなことだ。ストレスが無いほうがいいとも、あったほうがいいとも言える。
 それは、「あなた」といっしょにいるのが、刺激的なのか癒しなのか、どちらがいいのか、ということに近い。
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by kanekonekokane | 2007-03-14 22:39

善き人のためのソナタ


 この映画の後半、国家保安省の中間幹部のヴィースラーは、「国家への裏切り」によって左遷されて、私信の開封作業を強いられている。
 後ろに座って、同じ作業をしているやはり左遷されたものが、小さなラジオを聞きながら「壁が崩壊した」と叫ぶ。
 だまって席を立つヴィースラー、彼に続いて同僚も「職場放棄」していく。
 映画「善き人のためのソナタ」の一番印象にのこった場面である。
 歴史の歯車が大きく動いた短くも静かな場面。
 
 たぶんだれもが、そうなるとわかっていたのだ。国家保安省(シュタージ)という東ドイツの情報機関で働く人たちでも。それを統括する大臣までもが。それほどまで国家は腐っていた、と思う。

 この映画に出てくる人物は、みな弱く、そして自らの欠点あるいは「罪」を自覚している。勇気あるものも、英雄も出てこない。
 その時々の出来事に感情的になり、自分たちの未来も国の未来も見えなくなっているのに、その未来の無い国家のために生きている。その点では、劇作家ドライマンも俗物の大臣も変わりない。
 異様な国家、体制というのはそういうものなのだ。未来や国家のあるべき姿を語ることができるということは素晴らしいことだと、あらためて思った。
 しかし、弱いものでも、希望を失いかけたものでも、勇気を出せば世界を変えることができる。
 そんな当たり前のことが、感動的に伝わってくる。
 
 「善き人のためのソナタ」をドライマンが演奏する場面。ヴィースラーが盗聴装置を通してそれに心をうたれていくのだが、もう少し音楽を聞かせてくれれば私も「善き人」になれたかもしれない。
 音楽が人を変えることが本当にできるのか、ということはさておき、ヴィースラーがどこでどのようにして演劇や音楽を受容する感性を育んだのか、が描けているともっと面白かっただろう。
 たぶんそれは東ドイツの手厚い文化保護や芸術教育にあったに違いないのだから。
 西側の芸術を徹底して排除したにせよ、クラシック音楽やオペラ、演劇には国家的な援助があった。そのことがヴィースラーのようなシュタージの冷徹な諜報部員でも芸術に対する尊敬心を失わせず、ついにはドライマンをシュタージの追求から逃すことになった、という皮肉があったのではないか、と思う。

 ドイツ統一後、書店でヴィースラーは、「事件」のことを書いたドライマンの本を見つける。
  「プレゼントですか?」と店員。
  「いや、わたしのためだ」というヴィースラー。
 そう、「わたしのため」にわたしはあるのだ。
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by kanekonekokane | 2007-03-12 12:17

 「ゲド戦記」を書いたル・グウィンの新シリーズ「西のはての年代記Ⅰ」の一巻にあたる「ギフト」を読んだ。

 ギフトは特別な能力を指していて、父から息子へ、母から娘に伝わるがギフトを持っている血筋とそうでない血筋があり、持っていることが一族の首長の条件であり、土地の支配権をにぎることになる。
 オレックは父から、「もどし」のギフトを受け継いでいるはずだ。が、なかなかそれは現れなく、オレックも父もそのことを負担に感じている。
 「もどし」というギフトはすべてもとの姿に戻してしまう能力で、父のそれは敵対するものをただの「肉の塊」に戻す、ということで発揮される。つまり殺戮に使える武器なのである。
 
 ある日、突然馬の前にあらわれたマムシを「もどす」ことで、オレックはギフトを発揮するが、オレックには自分がギフトを使ったという自覚がない。父親が使ったのではないか、それをオレックが使ったと言って、自信を持たせようとしているのではないか、と疑う。
 やがて、オレックは自覚の無いままギフトを使う「荒ぶるギフト」の持ち主だということで恐れられギフトを封印するために目隠しをされる。
 
 三年の間、暗やみで過ごしている中で、母が亡くなる前日に目隠しをとって母を見るが、母に対して「戻しのギフ」トは起こらなかった、その後、母の残した本を読むときにも、うっかりと犬を見たときも何事も無かった。
 三年前の疑惑が再びよみがえってきた。「父がうそをついている。自分にギフトがあると思わせている」という疑惑。
 目隠しをとったオレックは、恋人にも家人にも何の被害をもたらすことはなかった。
 明るくなったオレックの世界。恋人と結ばれて住み慣れた「高地」を離れ、遠い土地に行くふたりの情景で物語の第一巻は終わる。

 ル・グウィンの描いた世界は、現代の家族の寓話である。
 医師の父が息子に医師になることを望み、息子もそれに応えようとして、結果的にこころがバラバラになっていく、というのは今の日本でもあることである。
 オレックもそういうひとりだ。
 父親の期待に押しつぶされそうになり、自分のことを役立たずと責める。
 だが、彼には、本を読み朗誦できるという「ギフトではない」能力が母から伝わっていたし、母の生まれた「低地」へ、ともに旅立つ愛する人がいた。

 映画になった「ゲド戦記」のことだが、あの映画は原作とずいぶん違ったものになっていたが、現代の家族についての物語、ということでは良い作品になっていた。「ギフト」とのつながりで考えると、あの映画はル・グウィンの深い意図に沿っていたのではないか、とも思えてくる。

 ゲド戦記でも語られているが、特別な能力は、それを持つものを深く傷つけることになるのだ。
 「自然」に逆らわず、あるがままに豊かな人生を過ごすことがたいせつなのだ。

 恋人のグライの持っているギフトは、動物との交信。
 それを狩のためにしか使えない母の立場に反発して、狩に行くことを拒否する。そしてギフトというものは本来「癒し」や「浄め」など人のためにあるのではないか、という思いにかられる。
 彼女の言い出した「ギフト」の本当の意味が、この物語の後半の大きなテーマになっていくことだろう。
 ル・グウィンならではこその、登場人物の心の動きの細やかな描写、異世界の情景の生き生きとした語り口。その物語世界はゲド戦記と並んで傑作に数えられることになるだろう。
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by kanekonekokane | 2007-03-10 15:28

音のさま・岡山


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ことしの岡山での「音のさま」を予定している普門院の石段。
普門院は岡山の東北、赤磐市にある真言宗のお寺で、石段をのぼると5mもあろうかという弘法大師に迎えられた。
(この石段をのぼらなくても回り道がありますから足の悪い方はご安心を)

寒い日だったが、梅が咲き誇っている。
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by kanekonekokane | 2007-03-09 21:16