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きょうも良き日


by neko
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雪の翌朝


今年初めての積雪。
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山の木や草が雪でうまると、鳥たちはいっせいに餌を求めて畑にやってくる。
ブロッコリーの葉は日が昇るころにすでに写真のような状態になっている。
ヒヨドリの仕業。雪の降る前にネットでもバサリとかぶせておけば、被害は免れたのだが、、、、
人は葉を食べるじゃ無し、少しばかりブロッコリーの収穫が遅れてもいいじゃないか。
レタスや小松菜の被害は少し腹立たしいが、、、、
まあ、命あるもの同志じゃないか、
元気に冬を越せよ、ヒヨ!
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by kanekonekokane | 2006-12-30 13:55

冬の鳥


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渡り鳥がはるか遠くの北の国から、飛んでくる季節になった。
写真は琵琶湖の近く、三島池のマガモのメス。

冬鳥を見に琵琶湖まで行ってみたが、暖かいので渡り鳥の飛来がまだ少なかった。
西池にも須賀谷温泉に入りがてら見にいったが、先見部隊がいるばかり。

私の住んでいる海津も揖斐、長良、木曽の大きな川が流れていて、毎年今頃は数百羽の群れが北からやってくるのが見られる。
夕方になると餌場からネグラに帰ってくる鳥の集団が、まるで一つの生命体のような動きをみせながら、川の沖合いに舞い降りてくる。
が、三つの川の鳥たちは写真のような距離まで近寄ってはくれないのである。

f0064415_13432762.jpg湖北町、琵琶近くにある山本山(海苔屋さんみたいだけど)に登ってみた。
ネコ帽にモデルになってもらって、琵琶湖をパチリ。
手前の港のある集落は尾上。左の湖岸あたりが渡り鳥の越冬地。湖に突き出ているような山は、葛籠尾崎(つづらおさき)である。

湖北の風景は情緒深い。
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by kanekonekokane | 2006-12-30 13:48

ゲド戦記、再び


 「ゲド戦記」を読みかえしてみた。
  瀬田貞二の『幼い子の文学』や上野瞭の『現代の児童文学』を手引きに、児童文学、絵本を読み漁った時期があった。いぬいとみこの「木かげの家の小人たち」の静かな戦争批判、石井桃子「ノンちゃん雲にのる」の印刷のインクの色、長谷川修平の毒、と印象に残った作品はたくさんあった。
 指輪物語、ナルニア国物語、秘密の花園、トムは真夜中の庭で、、、といった本は瀬田氏の案内で読んでいったが、わたしは日本の児童文学のほうが好きだった。外国のものは、翻訳臭さがいやなのと、登場人物の名前が覚えられないからだろう。
 「指輪」も、今また読み返しているが、新しい名前が出てくるとアラルゴンなら「アラ」とかグロールフィンデル「グロ」と覚えて読むようにしている。さすがにフロドとかサムはそのままだが、、、

 ゲド戦記には、これまでの児童文学にはなかったさまざま問題が寓話になっていた。
 闇との闘い、それは自分の中にある闇に他ならない、しかもその闇の中にこそ光が見えるのだ、という根源的なテーマに心底ふるえた記憶が残っている。
 その本は、児童文学の域をこえて大人でも読める、いやさまざまな経験をつんだ大人でしか読み取れない深い示唆が随処にあって、一行一行覚えておきたいくらいの感動を覚えた。

 映画「ゲド戦記」に対する賛否があるが、「良くなかった」という意見の多くは、これまでのジブリ作品との比較で話されていたり、原作との違いで論じられている。それでは作品に対して失礼というのものだ。
 宮崎吾郎が描いたものは、ゲド戦記ではない。 
 宮崎吾郎の描いたのは「現代日本の家族」だと思う。父親を刺した少年、親から虐待を受けた少女、能力が衰えてきた父とその三人を守り、なおかつ戦いの場に送り出す母の「擬似家族物語」なんだろう。
 うがった見方をすると、父、駿氏を「刺し」、ゲドという「父」と吾郎氏自身の話なのかも知れない。そういう意味では面白かったし、絵も美しく(が、オリジナルなものではないと思ったが)、人物の切り取り方も映画的で良い作品だと思った。
 が、ゲド戦記をアレほどまで解体したことがよかったことなのか、ということになると、別である。

 原作者が「原作本から採ったのは固有名詞といくつかの概念だけ、それも文脈を無視して断片を切り取ったのみで、ストーリーはまったく別の統一性も一貫性もないプロットに置き換え」たと批判し、「邪悪さはわかりやすく悪党という形で外部化され、魔法使いクモが殺されて、すべての問題は解決してい」て、「現代のファンタジー(文学でも政治でも)では、いわゆる善と悪との戦いにおいて、人を殺すというのが普通の解決法です。わたしの本はそうした戦いを描いてはいませんし、単純化された問いに対して、単純な答えを用意してもいません。」と痛烈にやっつけている。(引用は、「ゲド戦記wiki」http://hiki.cre.jp/Earthsea/GedoSenkiAuthorResponse)

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大阪音楽大学図書館 第一巻はだれかが、借りている。となりに「ナルニア」と「指輪」が並んでいるが、「指輪の1,2巻は私が借りている。


 原作のことに戻るが、全巻に横たわる究極のテーマは、「自然とバランスの取れた平穏な生活」なのだろう、思う。大地と海、風と波、繰り返される闇と光に「帰依」することこそが、大切なのだと語りかけている。
 それは作者が正義の方法として描いた「魔法」の否定であるし、魔法を越えた平和と正義のレバンネン王権のあたらしい世界への懐疑であるような気がする。作者ル・グウィンは、物語の中でゲドと同じように自己否定を余儀なくされた、と思う。
 
 読み返して、外伝が面白かった。「かわうそ」から「トンボ」までの間にどういうことがあったのか、五巻に及ぶ本編を思い出しながら読んでいくと、童話的な安らぎと神話的な壮大さの交じり合いに、しばし陶然となっていくような気分に誘われる。
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by kanekonekokane | 2006-12-19 15:30

ピクニック 続き


「ねこさん、ブログみました!」
と学生に言われて、ピクニックの続きを書かないと、、、、、
(読者がいるということは、イイことだ)

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北神戸の農村歌舞伎舞台を見学したあとは、無動寺まで里の道をハイキング。
畑の中の道、畦の土手の草々が美しい。

毎年来る道だが、少し違う道を通ることにしている、するとカルク迷う。
「ねこさーん!どっちよ!」とブーたれる学生が、畑仕事をしている老人に道を聞く。
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老人もうれしそうに教え、学生も喜んで聞いている。

途中、庭先で大根を漬けているおばあさんに声をかけた。
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大根の漬け方を丁寧に教えてくれた。そればかりか漬け方の失敗例をあげて、懇々と学生たちに漬物講義をしてくれ、さらに大根の種まきの仕方まで教えてくれたのである。
それを大きくうなづきながら学生たちは聞いている。
考えてみると不思議な光景だが、大切なものがここには流れている。
別れ際にはみんなに大根を持たせてくれた。もちろん私も太いのをザックに押し込んだ。

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柿を干しているご夫婦、ついてきた子ども、吠える犬、菜園のねぎやほうれん草、野焼きの煙、遠いお寺の屋根、里の道は癒しの道である。
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無動寺は弘法大師をまつるお寺
もみじが美しい。
本堂の奥の大日如来が、
意外な迫力を持っていて、
すこしビックリする。




                                                         


f0064415_1334215.jpgお参りの後、庫裏の座敷でお茶をいただく。
隣の部屋では、ご詠歌の稽古をしている。
襖を隔てたご詠歌の声、ガラス窓から差し込む秋の日。
学生たちは思い出したようにメールをチェックし始めた。
時間がゆっくりと流れている。

                                
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by kanekonekokane | 2006-12-01 13:46