ねこの生活と意見 nekokane.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

きょうも良き日


by neko
プロフィールを見る
画像一覧

<   2006年 08月 ( 5 )   > この月の画像一覧


倶会一処


f0064415_9355673.jpg 「くえいっしょ」
 
 文字のまんまの意味で「みんないっしょ」と思っていたら、死んだら浄土に行き、阿弥陀さまや仏さまといっしょになれるということらしい。
 
 
 GONNAの「音のさま」の公演会場、光徳寺の御堂の灯明である。

 人づての紹介で、この由緒あるお寺で演奏することになったことも、客といっしょになって楽しむことも、GONNAがいっしょに演奏できることも、なにかの縁でみちびきなのだと思うと「倶会一処」という文字が重みを増して見えてくる。
 真宗の教えでは、浄土とはあの世のことではない、いま生きているこの現実世界こそ平和な極楽にすべき浄土なのだ、という。
 ならば、GONNAが音楽を奏で、人々が沸き立ったこの灯明の下に「倶会一処」があり、「浄土」があったのだと思いたい。
[PR]
by kanekonekokane | 2006-08-29 09:54

ゲド戦記外伝


 ゲド戦記を読み返そうとおもって図書館にいった。
 当然のように出払っていて一冊もなかった、がル・グウィンが書いた6冊目のアースシー物語である「ゲド戦記外伝」が残っていて、これを借りてきて読んだ。

 前書きでル・グウィンが「これから先に読むな」と書いてあったが、そういわれるといっそう読みたくなったのだ。そこには、作家がなぜ5巻を書いてしまったのか正直に詫びるように書いてあったのが、なんとなくうれしい。(4巻を「最後の書」と題して書いておいて、後になって続編をかいたのです)
 あとがきには、翻訳者の原作者訪問記があって、面白いが、誤訳があることを認めながら、訂正しないことにちょっと?である。だいたい「ゲド戦記」という題名から誤訳で、ゲドの物語はほとんど1、2巻で終わっている。映画化された3巻もゲドは主役ではない。せめて、映画だけは「アースシー物語」とでもして欲しかった。

 巻末付録のようについている「解説」から読んでみた。ゲド以前のアースシーの伝説やロークのことが概略的に書かれている。こういうことまで想像をしてあの物語を書いたのかとおもうと、作者に対する畏敬の念が改めて起こってくる。

 外伝には5つのエピソードがあるが、「ダークローズとダイヤモンド」が好きだ。
 能力はあるが、魔法使いとしての大成を捨てて、師を裏切り、父母も裏切り、幼馴染の恋人と駆け落ちしていく青年の話で、音楽が好きなことがこの青年の心の負担になっていて、修行から逃げ出して恋人のところにやってくる。
 ダイヤモンドという名の青年は竪琴を歌をうたい、恋人のダークローズは笛を吹いて、放浪芸人として生きて、その世界で一人前になる。
 美しい心温まる物語で、アースシーが英雄だけで成り立っているわけでないことを教えてくれる。英雄でも魔法を使えるわけでもないわたしには、ずいぶんホッとする話である。
[PR]
by kanekonekokane | 2006-08-17 02:09

ゲド戦記


 原作を20年ほど前に読んだ。
 もちろん、3巻までで、その後、「帰還ー最後の書」と題したものがでて、それも読んだが、グウィンは、「最後の書」のあとに5巻目を出した。
 ちょっと作家の「潔さ」のなさを感じて、5巻目は読んでいない。
 4巻目で十分物語りは終わっているし、小説の役割は果たしている。もっというなら、3巻で終わってもよろしかろうとも思う。

 こう書いても、この本はナルニアや指輪よりも面白いし、深いことは認める。最高のファンジーだと思う。

 わたしは1巻が好きだが、「ハリーポッター」なるものに発想をパクられてしまっているから、これの二番煎じになるといやだな、と思っていたが、映画化されたのは3巻だった。
 
 「自己の受け入れ」というテーマはすっきり明確で楽しめたが、見終わって2時間くらいしてから、「ああ、あれは家族の映画だ、それも擬似家族の」と気づいた。
 そんなに矮小化するのも、なんだが、父と息子、母と娘、夫婦と姉弟のお話なのだ。
 はじめに主人公の父殺しがあるが、そこから出発する家族の再生物語なのだ。
 息子はもう一人の父と出会い、母ともめぐり合い、姉(妹か?)と手を取り合って父母を取り戻す戦いを始めるのだ。
 
 たぶん今、日本で起こっているさまざまな「事件」の寓話なのだろう。
 「光は闇の中に」まさにその通りだ。
[PR]
by kanekonekokane | 2006-08-11 01:38

夜稽古


f0064415_15165790.jpg 防音室の中では太鼓が稽古をしているので、マリンバは防音室の出入り口のところに楽器を出しての練習となる。
 暑いから騒鼓のドアを開け放ち、蚊取り線香をたいて何度も何度も同じフレーズを弾き込んでいる。
 音は、2ブロックも3ブロックも離れた路角にも伝わっていく。
 工場の騒音、トラックのエンジン音がなくなり静まり返った夜の工場の街にマリンバが響く。
 無機質な工場の外壁が良い反響板になるのだろうか、結構な残響がある。
 すこし不思議な音の情景である。

 夜10時、満月に近い月が音騒鼓と隣の工場の間からゆっくりと上ってきた。
[PR]
by kanekonekokane | 2006-08-08 15:31

ひさびさ


とくに、忙しかったわけでもないが、ずいぶんご無沙汰。
この一ヶ月のこと。メモっておこうっと、

 能「通盛」を観に行った。大槻能楽堂。
 狂言は茂山家で「連歌盗人」。茂山七五三は存在自体がユーモアだ。
 七五三は何もこっけいなしぐさがあるわけでも、せりふが面白いわけではないが出てくるだけで面白い。
 千之丞の実名入りの科白がでてくるのだけど、いっしょに行った学生は、千之丞の名を知らないので、クスリとも笑わない。
 「通盛」は「清経」と並んで平家ものの中では、とても見ごたえのある好きな曲だ。期待通りのもの。ことにアイ(茂山宗彦)が若々しく、かつ明瞭な語りで、聞き入ってしまった。
 この能はオペラ化してみたいものだが、、、、、

 文楽も学生を連れて観にいった。国立文楽劇場。
 織田作之助「夫婦善哉」(ふうふよいかな、ではない)。初演ではないが、「新作」にはいる作品だろう。
 通天閣、路地の奥のあばら家、と大阪の風情が見事に美術かされている。
 迫上がりで1階から2階の部屋に場面転換をしたり、カフェの厨房で、主人公の妻がガス自殺を図る場面の盆回しでカフェのホールから厨房への明転をみせたりする。
 さらにSEがはいったり、下袖奥からせりふが聞こえてきたり、女性に足があったりする。(普通文楽の女人形には足というものがない)
 もっと面白いのは果てはセーラー服姿の人形が登場したり、人形がタバコを吸い、ハイボールを飲む。
 物語以外でも十分楽しめ、古典にはない文楽の可能性が感じられた。
 三味線が道頓堀行進曲のメロディをちりばめたり、太夫も当時の流行化を唸ったり、サービス満点。
 学生たちも興奮した面持ちで「面白かった!」

 物語りも勧善懲悪や封建的な身分社会のしがらみでなく、自由な意志の持ち主の主人公が思うままの生き方を生きる。物語は、女が我慢、男は無邪気という夫婦の人情物語で、正直いうとそんなにオモロイわけではないが、文楽人形が演じると独特の情緒とリアリティで納得してしまうから不思議である。
[PR]
by kanekonekokane | 2006-08-08 15:11