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きょうも良き日


by neko
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BATI HOLIC


 BATI HOLICのコンサート「弥次喜多GROOVE」は15日、京都の文芸会館おこなわれた。
 当日いけなかったので、前日のゲネプロを見せていただいた。

 結成三年目の和太鼓、踊り、歌、三味線、笛と多彩なパフォーマンスをみせるグループで、GONNAと時期的に同じ歩みをしていることもあって、シンパシーに近い興味を持っている。
 
 GONNAが「こだわりを持って演奏しない」トラディショナルにこだわりながらも、わらび座のような「再現」をひとつの基準にした演技ではない。鼓童もように、トラディショナルの都会的なリメイクだが、鼓童のほうがより都会的な音楽感性を持っている。「都会的」という言い方が間違っているとしたら、より抽象的というべきか。
 鼓童より物語性は強いし、コンセプトも深いと思う。
 ツマラナイ位置づけだが、わらび座と鼓童の中間に位置するパフォーマンスだと思う。

 GONNAとBATIHOLICとは、交差する時空がまず見当たらない。だから「安心感」がある。
 わたしが彼らにいだくシンパシーの原因はそこにもあるのだが、GONNAの舞台監督、ユキがこのチームの出身であり、このコンサートの舞台監督ともなればホッテ置くわけにはいかないのだ。

 
 描かれた物語はあなたのもので、それはきっと、
 この国の未来に役立ってくれるんじゃないかと、秘かに信じています。

 演出の中島氏の文章。「秘かに信じるなら、書くなよ!」 などと突っ込みを入れながらもこういうメッセージには、その「まっとう」な心がけに姿勢を正しくする気分になる。
 「忘れかけたこの故郷(くに)の情熱」、というキャッチフレーズの「よれていない」まっすぐさ。

 ただ、十返舎一九の「弥次喜多」はコジツケの域をでていないというものだろう。
 東北から沖縄までの旅をしたというストーリーはわかったが、それと「弥次喜多」は何も結びついていない。ましてや、各地にちなんだ音楽は演奏されたが「旅する」ということ感覚ではなかった。

 演奏の中身は本番を聴いていないので、ここでは触れないが、支援者、スタッフを含め若いエネルギーに満ち溢れているのが、ぐんぐん伝わってくる。
 ゲネが終わって、彼らとその取り巻きたちの「根城」である「ダビル」にビールをもっていったが、年中合宿状態のような、いい意味で学生生活そのまま、のような雰囲気には「何かを生み出していく予感に満ちている。
 その夜も後輩や取り巻きなど(出演者はとっくに寝ている)と、遅くまでBATIのダメなところを肴に飲んだのだが、こういうコウルサイ取り巻きがいれば、きっと彼らの夢は開かれる、と思う。
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by kanekonekokane | 2006-07-17 22:37