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きょうも良き日


by neko
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GONNAエンジン


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 MARIMBAのエイコ。
 一年前は大学を出たばかりで、ただの生意気な娘だった。今でも生意気は変わらないが、負けず嫌いな気質と持ち前の判断力で、最年少だがチームのエースになった。しかもいっそう美しくなって。
 GONNAはエイコというエンジンを搭載しているのだ。アクセルをフカシすぎると焼きついてしまうから、注意が必要だ。
 こないだも、オアシス21での演奏を21回やるといって、メンバーを震え上がらせた。
 オアシス21の迷惑になるので3回になったが、、、、東急デパートだったら109回だ、といいかねない性格なのである。
 写真はオアシス21でのライブで。
 
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by kanekonekokane | 2006-04-28 23:26

オアシス21で


 名古屋の真ん中、その名も栄(さかえ)の地下広場オアシス21でのGONNAのプロモーションライブ。
 大きなガラス張りの屋根が空中に浮いていて、そのガラスには水が流れている、という凝った建物?
 その屋根と地上の間から名古屋テレビ塔が見えている。 
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 太鼓を打っているのは川田貞一。
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by kanekonekokane | 2006-04-28 00:40

倉敷でゆっくり


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 倉敷公演が終わった翌日、美観地区の裏通り、古い町屋をそのまま食べ物屋にしている店でお昼にカレーを食べながら、ビールを飲んで辰哉と話し込んでいるわたし。
 撮ったのはユキ。

 このあと、エル・グレコでコーヒーをのんでから、倉敷天領太鼓の演奏会にいった。
 2000人近い観客にびっくりし、太鼓のうまさにも驚いた。文字通り倉敷に根ざしている太鼓チーム。
 ひさびさに、こういう「保存会」太鼓をきいたが、打ち込み、ユニゾンのすごさに納得せざるを得ない。ピアニッシモだ、ディナーミクだといっていることがアホらしくなる迫力である。ヨーロッパ人が打ちのめされる気持ちが少しわかる。
 改めて、われわれは違う方向にきているのだと思った。何がいいかはそれぞれ、だが私は正直疲れた。これでもかこれでもかと腰の強いうどんを食ったようなもので、しばらくはうどんは食べたくない、と思ってしまう。
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by kanekonekokane | 2006-04-26 00:08

考え込むさだ。


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ランスルー(通しリハ)の前。チェックの音出しの途中。
集中を図っているのか、逆に集中をといて別のことに思いをはせているのか、、、、、
曲への近づき方はそれぞれのようだ。

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リハが終わってから太鼓のパートだけでダメ出し中。
リラックスしているオトコ三人とリンの真剣な表情が対照的。
リンが平胴のバチを抱いているので、ラメント・エ・ダンツァ・バーバラをめぐってのことなんだろう。
ダメとアドバイスは稽古で少し疲れてリラックスしているときがイチバン効く。真剣に人の話を聞くのは大事なことだけど、笑いながら聞くの方が、本当は脳に染み込みやすいものだ。
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by kanekonekokane | 2006-04-24 23:07

ヨリツネとユーマ


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GONNA神戸KAVC公演の仕込み。台にパンチを張っているところ。
 
 ヨリツネは音大卒業生でオペラの裏方をやっている。彼女が中学生のころ、子どものオペラで出演したときからの知り合いで大学で私の授業の学生だった。
 器用に仕事をこなしていくタイプではないが、子どものような新鮮な驚きを持ち続けて仕事をしている。「GONNAを見ると元気が出る」といって手伝いに来てくれるが、いつも本番中もロビーの受付に立っている。

 ユーマはまだ立命館の学生、つまり私の大後輩。ウチのブカンのユーユも所属していた立命のサークル「和太鼓ドン」のメンバーで、照明の仕事を半ばプロでやっている。
 彼はこのパンチ張りが終わったら照明シュートのために調光室でフェーダーを操作してくれた。
 GONNAはこういう人たちにいつも支えられている。

 支えてくれる人の一人サトミは、3月までGONNAのマネージャーだった。京都芸大打楽器専攻の学生だが一年休学してインターンシップにGONNAで働いた。4月から復学したが、もちろん神戸にも来てくれた。
 彼女も私の授業を受けていて、悩みの相談にのってあげた結果GONNAにつかまった。相談相手は選んだほうが良い。
 この一年がどうだったのか、結論は簡単にでないだろうが、確実に気持ちが骨太になってきたし、勉強したい、という気持ちも大きくなったようだ。
 彼女に、GONNAにいてよかったと思われるようなGONNAにしないといけない、と思う。
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 右側がサトミ。左はリン。GONNA studio 音騒鼓で。
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by kanekonekokane | 2006-04-18 23:13

「打ち交わす」初稽古


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「乱序」をあわせているところ。
能管、慧さん。鼓、仙堂さん。太鼓、リイチさん。大鼓、さだくん。
めったに見られない風景。
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by kanekonekokane | 2006-04-07 21:03

清洲ジャンクション


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 こういう風景を背負っている。
大げさかもしれないが、GONNAはこういう空気を持っているのかもしれない。高速道路、ごみ焼却場、線路、汚れた川、空き缶の落ちている道、工場と倉庫の街。
 ここが愛着がわく街になる、、、、それも一つのぼくらのユメかもしれない。

 カナダのバンクーバーにグランビルアイランドという倉庫と工場街が再開発された街がある。
 倉庫や工場の建物がそのままギャラリーやレストラン、マーケット、ブティックになっていて楽しい。ふと足元を見ると工場内に通っていた貨物線が残っていたりする。
 クラブ、劇場やライブハウスもあり、若者たちはバスにのって遊びに来る街になっている。
 
 ここがグランビルアイランドのようになるとは思わないが、空いた倉庫にアトリエやギャラリーが引っ越してきたら面白いと思う。
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by kanekonekokane | 2006-04-07 20:50

寸前ということ


 片岡亮太さん(和太鼓奏者、上智大在学中)がNHKの放送に出演した録音をwebで聞いた。
 GONNA on web BBSでも書いたが、彼の気持ちが率直に伝わってくる話に感動した。

 その番組の中で「ダッシュ」という鍵盤ハーモニカと和太鼓の曲があって、軽快なメロディに聴き入ってしまった。

 雅楽風なピアニカと太鼓の導入、それから反転して軽快なリズムになるのだが、何回か聴いてじっくり考えていると、「雅楽風」ということが、どうして疑問にならないのかが疑問になってきた。
 仙堂新太郎氏が、ご自分のページのBBSでそのダッシュについて
 「鍵盤ハーモニカは笙みたいな響きで和の世界にもなるし、アコーディオン風にポップな感じにもなります」
 といっている。
 うーむ、GONNA「打ち交わす」の楽曲選びで、四拍子を取り入れたものといった議論の中で、「四拍子をするならいいが、四拍子風はいやだ」といっていたのは、新ちゃん、アンタだろう!
 でも、新ちゃんのその気持ちはわたしもわかる。そして、亮太の「ダッシュ」の雅楽風を私も許せるのはなぜだ。
 私も「○○風」は好きではない、が、「ダッシュ」を聴いたときは、まったくそういう違和感を持たなかったのだ。BBSでも書いたように「裏切るように軽快」な展開がいいとおもったのだ。
 
 ダッシュの導入は完璧に雅楽のパロディである。(慧さんが聴いたらどういう反応なのか、興味深い。慧さんも「本格派」でパロディのユーモアはわかるがエピゴーネン(追従)は大嫌いという人だから)
 パロディなら「○○風」でもいいのかもしれない。
 でも、原曲や古典の本質に迫ろうと曲を研究して、それを引用して創作したら「真似事だ、エピゴーネンだ」と馬鹿にされるが、原曲の特徴をうまくつかんで、さらっと引用すれば「おもしろい」ということになるのでは、前者は割が合わない。

 本歌取り、というものがある。
  菜の花や 月は東に 日は西に(蕪村)
という有名な俳句があるが
  東の野に かぎろいの立つ見えて かえり見すれば 月傾きぬ(人麻呂)
の本歌取りである。読者は菜の花の風景に万葉の風景を重ねてみることができるという仕掛けである。いわば引用。

  春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香具山(持統天皇)
  春鋤(す)きて 夏着にけらし 田植笠(貞伸)

 これは引用などというナマやさしいものでなく紛れもないパロディである。
 
  月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり(芭蕉、奥の細道)
は李白の「天地万物逆旅 光陰百代過客」の模倣であり、もし李白が芭蕉と同時代人なら盗作といわれてもしょうがないものである。

 「ダッシュ」の「雅楽風」がどういうものであってもいいのだが、雅楽の悠久たる気分を聞き手に一瞬でも与える、という点では本歌取りといえる。
 もちろん、雅楽の世界を共有するとか、雅楽をリスペクトしているとは到底思えないので、「お遊び」だとわかる。
 では「お遊び」は「悪ふざけ」とどうちがうのか、、、、難しい!

 ともかく、ダッシュが面白いと思ったのは、曲と演奏のよさにあるのだろうし、ユーモアたっぷりの「お遊び精神」にあるのだろう。
 それにいいものはいつも、悪いものと紙一重な線上にあるのだ。
 きわめて模倣に近いパロディ、悪ふざけになりそうなお遊び、盗作寸前の本歌取り。
 モーツアルトの名曲だって寸前が多い。トルコ行進曲などもちょっと間違えればまったくベタなイケテないマーチになる。
 その寸前までもっていければOKなのである。つまりダッシュは寸前だったのだ。
 ただ、(まだこだわるが)ダッシュの曲中で、もう一度たとえば終わりとかに「お遊び」を持ってきたり、中間に「寸前」入れれば、導入部の「意味」が見えてきたかもしれない。
 
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by kanekonekokane | 2006-04-01 02:22