ねこの生活と意見
2023-12-05T20:18:03+09:00
kanekonekokane
きょうも良き日
Excite Blog
俳句というもの
http://nekokane.exblog.jp/33655089/
2023-12-05T20:18:00+09:00
2023-12-05T20:18:03+09:00
2023-12-05T20:18:03+09:00
kanekonekokane
文学
「夏空システム」という至極便利なサイトを主宰(決めてはいないが、座主のような人)が見つけてきて、投句期間になると投句をする、締め切りまで何度でも推敲できる。選句の段階になると作者の名前は伏せられてランダムに並んだ投句のすべてが閲覧でき、選1点、特選3点を選んでおく。オンラインでの句会で、得点がわかり作者が名乗り出る。
生活の中で見たまま、ちょっとした出来事のまま句にする。しかしどうしても、わたしなんかはアレゴリーを込めたもの、とかダブルミーニングなものを書きたいと思うのである。
先日の句会の兼題はなんと「重力」。
重力や地平踏み切る初日の出 猫々
猫々はわたしの名である。
これはだれも投票してなくて0点。
満月の重さを量る冬の雲 猫々
これは一人が特選、もう一人が選で4点。
無重力フォトンふるふる小春空 猫々
二人が1点づつ入れてくれて2点。
全部では八句投稿するので、メンバー全員が加わるとかなりの数になる。重力句会は4人だったので三十二句。
兼題を出した人が、大栗博司著「重力とは何か」をあげて、この兼題について言っていたので、さっそく読んだのだが結局、重力とは何か、はわからなかった。
ではと村山斉さん、小谷太郎さんとかの数冊で勉強。
重力とは何か、などわからなくても俳句は読めるし、わかってしまったら美しい自然が物理の法則にみえてきて、句にならないかも。しかし科学的知識とかいうものはそんな非人情なものではない。量子論まで学んで「宇宙の美しさ」に少し気づいてきた気がする。
俳句は「文学」だと思うが、ランニングで言うならごく軽いジョギングみたいなものである。タイムも距離も気にしないし記録もしない。どこかに読むべき素材がないか「鵜の目鷹の目」になり、前頭葉をひっかきまわし言葉を遊ぶ。それでいいし、そこがいい。
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こんどこそ続けようblog
http://nekokane.exblog.jp/33650452/
2023-12-04T16:07:00+09:00
2023-12-04T16:07:12+09:00
2023-12-04T16:07:12+09:00
kanekonekokane
生活と意見
なにも書いていないわけではないのだけど、と言っても、台本とかキャッチコピーとか、だが。台本はサラマンカホールの子ども合唱団のため、先日はオペラ「魔笛」のアウトリーチの短いコンサートのためにも台本を書いた。現代口語、もっといえばふつうのおしゃべりレベルで書いているので、MCには「漫才とかコントのつもりでね」と言ってやってもらっている。句会のLINEグループでもできるだけ発信していこうと思っている。✕(Twitter)やFacebookはなんとなくやめてしまった。まとまった文が書けないし、もともと3日もすれば旧聞に属するような内容にふさわしいメディアだからかな。
「前立腺ガンですね」と医師に宣告されて、証拠をつかむために1泊2日の検査入院。前立腺に17ヶ所もハリを刺して、ハリの先についてきた微量の組織を検査するわけだが、全身麻酔なので気がついたら、ここに寝ていた。そもそも6月のはじめに自転車で名古屋まで30キロの道を往復して翌日熱が出て、コロナか、というわけで内科受診。そしたら「熱中症」だと言われた。
熱中症は運動中に症状が出るわけではない、元気な人ほど翌日に出るものだ、と医師に諭された。30キロ行って、ビールを飲み、映画を観て、30キロ走って帰宅してビール。このビールがいけなかったわけである。
大学時代のサークルの同窓会(そんなものが世の中にはあるのですよ)で、能登氷見まで一泊旅行。
しかし、どうも尿の回数が多すぎる!というわけで、泌尿器科を受診。前立腺肥大と言われ、その後、血液検査でガンの疑いがあると言われて、写真のような羽目になったわけである。
その間、コロナに感染、熱のために歯が痛くなり歯科、コロナが治っても鼻汁が止まらないので、耳鼻科へ・・・これでは終わらず、検査入院のあと、胃腸炎にかかり、2週間ほどまともに食べれなく、5キロも体重が減った。
といっても、その間に福島の娘のところまで車で行き(600キロくらい)、御嶽山に登り、岩手まで賢治を足跡をたずねる旅で賢治をまねて、岩手山を夜登り、姫神、種山ヶ原にも登ってきた。もちろん、トレランも自転車もやってきたので、それなりに充実していたのだが・・・
ガンの進行状況確認のためCTとPETを受ける。この静脈に入れた管からブドウ糖液とCTのための造影剤、PETのための放射性物質を体内に入れる。考えると恐ろしいようなことだが、すぐに排泄されますから、ということらしい。その検査結果は、ステージ3a、かなり進行しているとのこと。それでいくつかある選択肢が示されたが、全摘手術を選んだ。PETの薬剤がカラダ中に骨にまで浸透する時間、桑名の街(病院は桑名にある)をさんぽ。カフェ「ムギノワ」でコーヒー。桑名城のお堀とつながる水路沿いに歩き、それが暗渠になっている緑道を通り、かつて鋳物師たちが住んでいた鍋屋町から、旧東海道を戻り、城跡近くお堀沿に「ムギノワ」はある。堀の石垣の上に新築の家に交じって、古いうちが残っている。洗濯物が昔ながらの竿に干されている。あういう家っていいなあ、とか思いながら・・・
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ブログ。何度目かの再開。2023の新年・
http://nekokane.exblog.jp/32916137/
2023-01-04T17:10:00+09:00
2023-01-04T17:14:14+09:00
2023-01-04T17:10:34+09:00
kanekonekokane
生活と意見
では頼んで読み手になってもらうとか、日記に名をつけ彼女に語り掛けたアンネ・フランクのようにブログに名をつけるというのも、悪くないかもしれない。
まあ、書く、というアウトプットは必要なのだ、ということは必要だと猛烈に感じる。タグに生き物とつきあう、としているが昨年ネコ、Aliと名付けたが、が来た。
こういう生き物が家族の一員になると、赤ん坊ほどではないが、この子中心に生活になる。
昨年のクリスマス~もう10日前のこと~沖コーチのランニングミーティング@平田リバーサイドパーク、に久々に参加して「打ち上げ」で平田クレールのカイジュウカフェでランチ。鹿肉のハンバーグ。隣のプレートは鹿肉のキーマカリー。
エキササイズや、アップ走をして、8キロをランニングの後、コーチング・・・やはりランニング会は楽しいし、勉強になる。
さて、昨年末のことを少し書いておこうかな。
石津御嶽から田代越えを経て、羽沢の三角点まで来たら金柑のリースが飾ってあった。2022年12月21日。とてもほっこりする。少し盛りだくさん過ぎて、形が歪んでいる。もしかしたらヒョウタンの形にしたのかもしれない。
12月28日「仕事納め」の夜、金宝町のバル・バロッサで石原・岡崎夫妻、後藤卓也「スペインからの手紙」の忘年会。
長良ワインを試しに頼んだ。一升瓶のワインをラベルのないボトルに移してテーブルに出してくれる。空気を混ぜる柔らかい香りが立ち上ってくる。渋みと軽やかさがあって、ヨーロッパの複雑な味とは違った素直なワインだった。
それから、この店のハモンはサラマンカ産のもので、とりあえずハモンと地ワインで乾杯。
〆のパエリアも田舎風。
岐阜には岐阜のバル、というところである。
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清流ハーフマラソン完走
http://nekokane.exblog.jp/32659812/
2022-04-30T10:29:00+09:00
2022-04-30T11:41:43+09:00
2022-04-30T11:41:43+09:00
kanekonekokane
トレイルラン
7千人というランナーと走るので全コース集団の中を走るせいか、楽な気分で走れた。レースだから頑張ってしまうのではないか、という心配はあったが、むしろペースが守れたような気がする。スタートから小雨で暑くなくていい。ゆっくりとしたペースで走ろうと思ったが、金華橋への登坂でいきなりペースを落とす人がいて、込み合う中を追い抜いてゆく。沿道の応援が励みになる。
登りでペースが落ちる人が多いだろうとは予測できたが、下りでブレーキをかけるランナーがいたり、水たまりをよける人が多いのには少しびっくり。トレイルランナーでは考えられないと思う。
1時間58分01秒。直前のトレーニングでは2時間20分ほどだったので、2時間を切りたいという目的は達成できた。この年でロードランを初めて3年ほどなので悪くない結果。
走り始めて6年くらいになるが、トレイルも含めて、自分がレースに参加できる回数は限られている。走ること自体はまだまだ可能だと思うが、レースをあきらめる時期はそんなに遠い未来ではない。あと2年?、つまり75歳くらいまでかな。
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熊野古道小辺路
http://nekokane.exblog.jp/32510065/
2021-12-02T14:42:00+09:00
2021-12-02T14:49:31+09:00
2021-12-02T14:42:01+09:00
kanekonekokane
熊野古道
大辺路を歩いてから10ヶ月ほどたって、あのロングトレイルが印象に残っている。車の往来する国道、生コン工場の敷地のなかになっている道、鉄道のおかげでズタズタになった古道、いまは高速道路工事にはばまれて工事フェンスの横を歩く道・・・集落の中は古道の風情が消えていてもまだ良いが、こういう道を歩いたり走ったりがおもしろいのか? といえば面白くはない。しかし、歴史の道は歴史によって変遷し消えたり付け替えられたりするものだ。参詣道は、それ以前から使われていた庶民の生活路を、都の貴族のために「段築」(盛り土をして高低を均した道)にしたり、切通しにしたりしたわけである。高速道路もまた歴史だと思えば、古道は生きている、と開き直れる。
熊野参詣道だという認識が景色を変え、歩く意味をもたらしてくれる。
小辺路は高野山から始まる。岐阜を終電で出て、新幹線、大阪地下鉄、南海と乗り継ぐ。紀ノ川を電車がわたると「紀ノ國」に入る。夜なので家々に光と闇をながめていると、紀伊半島の山々に入っていくんだという感慨がわいてくる。終発のケーブルカーにはわたし一人。
ケーブルカーから、やはり終発のバスで高野山金剛峰寺についた。
山門にむかって手を合わせて山行の無事を祈る。霧が時おり水滴になって落ちてくる。これでは今夜の泊りは濡れた地面にツェルトか・・・と覚悟を決めるが、できれば避難小屋まで行きたいとも考えながら走り出す。
ろくろ峠からさっそく道を間違えて女人堂のほうへ100mほど走って気が付いた。夜の道はバカみたいなロストをする。気をつけよう。しばらく細い林道を通ってから護摩壇ドライブウェイとかいう国道に出る。霧はいよいよ濃くなり、雨も降ってきて、寒くなる。舗装路が続くので行けるところまで夜の道を走ることにする。トレイル入るころにはカラダも慣れてきて快調に走る。急斜面を下り、大股の集落に入る。外灯だけがこうこうとしている。当たり前だがここで起きているのは私以外だれもいない。大股から急斜面を登ると無縁仏なんだろうか、石仏があった。もうすぐ東の空が明るくなるだろうと時間になって菅小屋に着いた。着替えて濡れた服をつるしてシュラフに潜り込んだ。翌朝、話し声で目が覚めた。7時半。いい時間だ!晴れると思っていたが曇りだ。なんてこった!菅小屋は快適で本当にありがたかった。寄付箱に千円を入れて出発。話し声の持ち主は伯母子岳の手前で追いついた。山頂は樹林がなく石灰岩地形のような穏やかの山である。しかし風が強い。夏タイツにショートパンツというスタイルなのでそうそうに下る。樹林に入るとこの格好でも十分。気温は5,6度というあたりかな。
ここから古道らしく山頂を避けてなだらかな道が続く。貴族の参詣に仕えた先ぶれのようにぐいぐいと走る。こういう案内看板が結構あるのだが、これが気に入った。この山奥で宿を営み、牛を飼い、畑ではナンキンとジャガイモを作って客に供していたという。目のまえの林の上に空想してみると確かにそういう宿があり、畑を耕していたんだろうとわかる。土を平にしたのが想像できる。秋である、秋である、秋。弘法大師もいる。どなたなんだろう?ひっそりと祀られている。
途中で眠くなって、昨夜の短い睡眠の負債を20分ほどだけ返済し、やっと西中の集落につくすでに16時だ。なんとか果無集落は明るいうちに通りたいと思っていたが、ムリだと思ったら走れなくなる。おまけに雨が降ってくる。ああ十津川温泉でもとまるか・・・と弱気になったが、雨が止んだらそんな考えはどっかへ消えてしまった。昴の郷を過ぎる頃はとっぷりとくれて、果無へのつり橋は、時空を超えるファンタジーへの文字通り「橋」である。果無集落はひっそりとして足音も忍び、ヘッドランプを手で覆って家々に遠慮しながら通り過ぎた。
濡れてない枯葉のたまっているところがあれば、そこが今夜の宿泊地になるので、きょろきょろしたり、森の中に少し入ってみたり登っていく。山口茶屋跡の平地をうろうろしたら、大杉の下が全く濡れていないのでそこでツェルトを張る。分厚い枯葉層の断熱とクッションは最高である。翌朝、八十八か所の石仏に導かれながら果無峠へ。
八木尾へ下ろうという当たりで熊野川が見えた。やっと来た!中辺路に合流するあたりから、もうすぐだと思うと脚はぐいぐいと走り出す。祓所王子についた!もう本宮の鳥居が目の前にある。とりあえず大斎原まで行き、熊野川のほとりについた。旅は終わった。65㎞、25時間。24時間を切りたいと思っていたが、まあいいではないか上出来である。
カフェCHOUXでゆっくりと時間を過ごす。温泉に入ろうかとも思ったが、いまはこれが天国だ。天国は続きがあったほうがいい。カフェのネームの通り名物のシュークリームも。
シュークリームが100点としたら、チーズケーキは120点かな、でも予約の客がひっきりなしにくる、それも横浜ナンバーと大阪とかも。みなシュークリームを持って帰る。しかしチーズケーキのほうが味のオリジナリティがあり、しっかりとした食感がいい。
高野山の山上の極楽から、この世俗の天国までの旅。しばらくは熊野古道から離れらない。]]>
新宮速玉大社~千穂ヶ峰~神倉神社
http://nekokane.exblog.jp/32509429/
2021-12-01T21:40:00+09:00
2021-12-02T13:19:11+09:00
2021-12-01T21:40:50+09:00
kanekonekokane
トレイルラン
速玉大社に詣でる。さっそく千穂ヶ峰の登山口へ。民家に入っていく道のような感じで、さっそく迷ったかな?とおもうが、進んでみると古い案内版があった。
いきなり急な道をのぼり、しばらく行くとひょっこり山頂に出た。北側は絶壁で真下に熊野川の河面が見える。東南に流れてきてこの山にぶつかり大きく蛇行してほとんどUターンのように北西に流れを変えてから山を迂回するように再び東南にながれ太平洋に流れ込んでいる。地図を見ていると、千穂ヶ峰という山に地形的な意味がありそうで興味深い。実際に登ってみると古い火山岩でできているので、河口で噴火した山に川がせき止められ、行き場を失った水はやがて海へとあふれ出たのだろう。
この絶壁の川に対する「意志」みたいなものが感じられて、一層興味深くなる。展望台からは河口が見えている。山の周りを蛇のように川が巻き付いているイメージが湧いてくる。越路峠へ行かずに神倉神社へ谷筋を降りる。こちらがわは緩やかである。神倉神社の参道に出ると新宮高校のサッカー部だと高校生といっしょになって石段を駆け上がった。神社から新宮と太平洋が一望できる。ご神体のことびき岩に寄り添う神社はやはり美しい。このように彩色は「熊野」を思わせる。紀伊半島の人の色彩感覚は少し特異なのだろう。東南アジアに近い。この石段はトレランにとっても手ごわい。だから、というより神域への敬意をもって、少しゆっくりに踏みしめるように降りた。神社から街を抜けて速玉大社に戻る、3.8㎞1時間10分。
それから熊野川温泉で汗を流してから、丹鶴ホールへ行く。
新しいホールへは満席。文化への期待が大きさ、この街の文化度も低くはないのだろう。これを維持していってくれることを願うが、ホールもコンサートもわたしには今ひとつだった。ホールはなんだか「密度が低い」感じがした。客の歩く音が妙に大きいので、どうしてかな?と思ったら、客席の形を変化できるシステムで、つまり席の床の下は空洞なのだ。密度が低いのがそのせいとも思えないが、どこか緻密さに欠けている空気がある。ロビーの狭さも「ひろば」としてのホールを否めている感がある。
コンサートは映像の完成度がひくく、ピアノニストの少女期の話を自身がするのだが、発声が悪く何を言っているのかわからないことが致命的だった。
終演、また3時間の道を、熊野川温泉の暖かさの含めて、さまざま感慨を反芻しながら帰宅した。
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「オペラ座地下のアーティストバー」
http://nekokane.exblog.jp/32460872/
2021-10-13T18:35:00+09:00
2021-10-13T18:35:56+09:00
2021-10-13T18:35:03+09:00
kanekonekokane
音楽
舞台では、新型コロナの渦中、マスクをしたままでオペラ「オテロ」の稽古が進んでいる。
コロナ禍のオペラ座の設定だから、登場人物はマスクをして、手消毒をして、ディスタンスをとる、ということにした。ただ歌う時はマスクを外した。バーのマスターのセリフで「ココではマスクはずして歌っていいよ、ワクチンもうったし、抗原検査もしているし」と言っている。
実際の稽古では、マスクどころか集まることがキケンということでオンラインで歌も台本読み合わせも始まった。なんとか対面の稽古になったが、ひとりづつの稽古でしかできなかった。先月末になり緊急事態宣言解除の方針が確実されるようになり、ホールで密を避けながらマスクをつけて全員での稽古がようやくできたのだ。
歌う時のマスクを外すことになったが、本番当日のゲネプロではじめてマスクなしで歌った。セリフのときはマスクで、ピアニストと俳優はずっとマスクのままである。
演劇ではマスクを外して上演しているが、この芝居仕立てのコンサートはあくまでも「コロナ禍」のオペラ座地下のアーティストバーを描いているのである。
「そこまでしなくてもいいのでは」とか「コンサートくらいは日常から離れたい」という意見もあったが、マスクは衣裳のようにドラマの設定上必要なのである。
当日のプログラムにわたしは以下のようなコメントを書いた。
『コロナ時代の舞台』
コロナは音楽や演劇といった舞台芸術を壊滅させるかもしれない、と思えるほどのインパクトをわたしたちに与えました。
音楽学の岡田暁生さんは『音楽の危機-《第九》が歌えなくなった日』というショッキングなタイトルの著書でこう語っています。
「 わたしは『音楽とは、人々が集まって一緒にやる、一緒に聴くものだ』と信じている。しかし考えれば考えるほど、これまで何千年と続いてきたこの人類の風習
に、何か決定的な変化が起きかねない状況が訪れているという予感がしている。」(2020/9 中公新書)
そして、同書でこうも語っています。「 世界中で『生』の音楽が『消えた』という事実、そして音楽がなくなるかもしれないという危機が目の前にあったということ
を、伝えていく意味は大きいと思う」と。
この芝居仕立ての短いコンサートは、オペラを紹介しそのファンを増やしたいという想い、それにオペラに描かれた前時代的なジェンダーというものを、現代の目か
ら少し見直しておきたいという想いから書きました。しかし大きな問題は、コロナ禍での稽古も本番もできるのだろうか、ということでした。そうならば劇中の「オペ
ラ座」もコロナ禍中に「オテロ」を稽古していたとしたら、と思って台本を書きました。そのことで「危機が目の前にあったということを、伝えていく」ことになるの
では、と。
「芝居というものは、時代の様相をあるがままにくっきりとうつし出す鏡」(シェイクスピア「ハムレット」より)
このコントでつづったコンサートも、また「鏡」でありたいと思うのです。
2日からのセリフを入れた稽古ができ、4日間で仕上げた。この集中もコロナのおかげなのかもしれない。
この芝居仕立てのコンサートでは、俳優の二人が大きな役割を果たした。劇団「芝居屋かいとうらんま」の後藤卓也さんと一ノ瀬つぐみさんが、バーのマスターとママ役で狂言回しに徹してくれた。弁士風な少し滑稽な言い回しとシリアスなアリアとのアンバランスも、計算通りメリハリを作ってくれた。
出演の歌手たち、ピアニストの河原忠之さん、音楽監修の倉知竜也さんの奮闘にも感謝したい。
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大辺路 紀伊田辺闘鶏神社~那智補陀落山寺
http://nekokane.exblog.jp/32222722/
2021-04-07T16:03:00+09:00
2021-04-07T16:05:09+09:00
2021-04-07T16:03:42+09:00
kanekonekokane
トレイルラン
トレイルランをはじめて、それまで興味のなかった何の変哲もないハイキング道や集落の道とか林道までもがおもしろくなってきた。
オルレとかジャランともいうべき道々である。(オルレは済州地方の朝鮮語で細道、ジャランはバリの言葉で道)
以前は車道脇を歩いたり走ったりは好きではなかったが、いまは特に嫌う気分は少なくなった。そういう気分にならないと大辺路はやり通せない。そのくらい舗装路を行かなければならない。
1日目(2/2)
紀伊田辺駅に22時41分到着。大辺路と中辺路の起点である闘鶏神社を参拝。
車の行きかいの多い県道を走り出した。
ザックの後ろにペツルの小さなヘッドライトを赤色点滅させて付けてある。ヘッドライトはバイオライト330。
SOLOMONの25Xにモンベルシュラフ#3、モンベルULツエルト、食糧1.5日分、水1L、エヴァ―ニューアルコールバーナー、ダウンインナージャケット、モンベルパーサライトジャケット、モンベルアクショントレールタイツなど詰めて4.5キロほど。
ウエアは裏起毛のモンベルタイツにショートパンツ、メリノウールTシャツ。
とにかく街を外れて冨田川まで行かないと、ツエルトは張れない。神社とか公園とかも寝場所としてあり得るのだが、やはりアヤシイ。
日にちが過ぎて1時に冨田川にかかる潜水橋についた。まったく眠くなくしばらく川沿いの道を走るが、急に風が出てきた。これ以上走っては翌日にさわると思って、1時半、河原の枯れ草の上にツエルトを張った。夜中強風、気温も低くカラダが冷え込む。
2日目(2/3)
5時前に起きて走りだす。手足が冬山のときの用に冷えてなかなか温まらない。
草堂寺に7時について、ようやく日が登りあたたかくなる。早朝から墓参りや掃除の方が来てあいさつをしてくれる。トイレを使わさせてもらう。
フリーズドライ食を食べようかとも思ったが、安居(あご)の渡しの予約時間に遅れたくないので、プロテインバーやようかんで朝食。
草堂寺からトレイルになり富田坂を快適に越える。安居の渡しに予定通り9時半に到着。かなりがんばった。
ひとりでも500円なので、申し訳ない気分。ふかぶかと船頭さんに頭を下げて船を見送る。
渡しからいきなり仏坂の急坂で、トボトボと歩いて登る。周参見へは川沿いの車道、長い!
12時、周参見王子神社。折から節分祭で雅楽が聞こえてくる。
境内の隅でお湯を沸かしてフリーズドライを食べる。向こうにオークワがあるので、食糧を少し買う。
馬転坂は生コン工場を横切って入り口に行くのだが、通行できないので迂回を促す掲示がある。まあ、いけないことはないだろうと急で細い階段状の道を上る。こんな道を平安時代の人が登ったのだろうか?と思えるような道で、もしかしたら今は線路があるあたりに道があったのかもしれないと思う。古道は鉄道、車道ができるたびに付け替えられたり、失われたりしてきたはずだ。そうでなくても平安時代から明治まで崩れて変更されたり、新たに楽な、あるいは近道も造成されてきたのに違いない。
馬転坂の後半は低木がまばらに生えた海が見える楽しい道になり、最後に海沿いの国道に出る。
西浜から山へ入る。分岐点の国道沿いに太い丸太が寝かせてあって、しばらく座って休む。さすがに疲れてきた。長井坂はまだまだ遠い。
山間の車道を3キロ半ほど歩くと長井坂に入る。冬の早い日没が迫ってくる。
高低差のある山道の低いところに土を積みできるだけ水平道にしてある。段築とか版築というらしい。
見老津が見えてきた。
急坂を下れば見老津に入ってしまうので、この山の中で寝たほうがいいだろう。18:30。
フリーズドライを食べて、カラダを温める。
平なところにツエルト張ったのだが、枯葉の上なので夜中にカラダがツエルトから抜け出たりして、やはり寒かった。
3日目(2/4)
少しゆっくり起きて7時出発。見老津を過ぎて、海沿いの国道を行く。
江須崎への入り口で、急に岬まで行きたくなって半島の遊歩道から江須崎へ渡る。
自然林が残っているが荒れ放題でもある。灯台を見て急いで古道へ戻る。
10時、道の駅すさみで休憩、トイレ。デコポンを一袋買う。これが道中のおやつには格別であった。
海沿いの道、平見という海岸段丘に開かれた集落を行く。
平見から平見へ坂を登ったり下りたりする。家々や神社の石積みが美しい。
4時田波のAコープで大休憩。大福やらサンマ寿司を食べる。甘いものを買ってザックに詰め込んで、飛渡谷道に入る。串本に明るいうちにつきたい!しかしもう脚がかなり疲れている。
串本に近い海辺の国道沿いに「尾鷲牛乳」のソフトクリームを食べる。これはうまい!この旅でいちばんの幸福感だった。
串本なのに尾鷲牧場?まあいいではないか、かなりこだわって牛を育てミルクを販売しているようだ。
日のあるうちに串本に入り、無量寺を参拝。
街中をコンビニ目指して走る。コンビニより串本温泉の看板が目に留まった。しばらく迷ったが温泉につかることにした。一気に真新しくなった気分で暗い国道を戻り、くじの川沿いに走る。道は高速道の工事の中を行く。とりあえず海岸に出て砂浜で寝ようと走る。
姫を過ぎて大浦の海岸の砂浜でツエルトを張る。強風でバタバタうるさい。コンビニで買ったそぼろ丼を食べる。
4日目(2/5)
6時に起きて走り出す。ちょうど日の出でたくさんの人がカメラを構えている。そんなにいいポイントなの?と海を見ると岩島に穴があいていて、その穴に太陽が入るのだ。偶然だったが、これは素敵だ!
古座から海辺を行く道と山を行く道が分かれている。わたしは山を行く道を選んだ。9時、虫食い岩。道の駅はまだ空いてなく。買い物ができないから空腹のまま先を行く。こういう色彩感覚がどこか東南アジア風である。
峠の地蔵への急坂の前に最後のデコポンを食べて、急坂を登る。
大辺路行程中、いちばん山らしい山である八郎山。はるかに太平洋と紀伊半島の山々が見える。海岸の崖淵をいくより、こういう山道に方が安全で確実だったんだろう。古代の人たちの旅の大変さが身に染みる。
石組が見事。掘割。岩を砕いて割れ門のように道をつけている。
山を越えれば、那智まではたいへんな登りはない。ひたすら走る。那智駅発終電17時25分には十分時間があるが、なんとなく先を急ぐ。那智の街中を走り抜け、いよいよ補陀落山寺への道に入る。残った脚力を出し切るように境内に入る。16時ちょうど。補陀落山寺
熊野三所大神社那智駅に隣接の温泉に入り、駅前のレストラン「ボヌール」で急いでビールを飲み、パスタを食べて、電車に乗った。
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源氏物語初版千年
http://nekokane.exblog.jp/32212483/
2021-03-31T15:42:00+09:00
2021-03-31T15:42:47+09:00
2021-03-31T15:42:47+09:00
kanekonekokane
本
先だって、ある作家の文章で、読んでいるだけでは作品の消費にすぎない、その作品の感想を書き残さないと、といういうようなことを読んだ。
その時はそうだよね、自分のものにならんよね・・・でも、読んだものがこれからのわたしになに役立つわけでもなく、そういうふうには読んでないし・・・
と思っていた。
それから、少しづつ資本論の勉強を少しづつ進めていくと、作品を消費しているとは作品を商品としてとらえていることだと、思い当たった。
万物が商品になる、資本制は商品という形で現れる・・・資本論のいちばんの基本ではないか。
作家や科学者たちが、膨大な時間を費やして、取材や思考、研究のはてに書いた書物は“本という商品”ではない・・・作品を消費しているだけでは・・・と。
どうにかして、わたしなりに受けとめたい。少なくとも作品を商品としてだけとしか思えないような心持はよくない、と思ったのである。
さてそうであるなら、この間に読んだりみたりふれたり行ったりしたことをふりかえってみることにしよう。
この何年か「源氏物語」を読んできた。
原文は読めないので、谷崎潤一郎や瀬戸内寂聴の訳を少しかじったが、どうも読み進めない。
それから何年もたって橋本治「窯変源氏物語」を読んだ。すでに源氏を読むことをあきらめかけていたころ、大阪音楽大の図書館の棚に14巻ずらっと並んでいるのをみたら「読もう!」と素直を思ったのだ。当時(2005.6年ころ)、その大学へ非常勤として週一で通っていたので、毎週一冊づつ読めば4,5ケ月もあれば読めるだろうと読み始めた。 週に1巻は少し無理だったが、1年ほどで読めた。
それまで触れてきた「源氏物語」とは全く違う。なんせ光源氏とあだ名された「わたし」が語るのだ。
光クンの衣裳の細かい描写、現代口語で書かれた会話の面白さ、紫ちゃんを誘拐する際の光クンと惟光アニキの会話の面白さ、原作には出てこない庶民たちの会話・・・
さて、ふるい読書の話はもういい。
今になってまた「源氏物語」をもう一度、と思ったのは、サラマンカホールの企画で「源氏物語」を一つの軸にして能と雅楽の企画が立ち上がったからである。もともとはわたしの企画ではなく「これを企画してね」と言われたもの。
能には源氏を題材にした作品がいくつかあるし、雅楽のほうは源氏より前の成立なので「源氏物語」のほうに何度も登場してくる。
それにしても、今また源氏を採り上げる理由というか、言い訳みたいなものがほしいではないか。
提案したものはそこまで考えていなくて、二つの古典の共通キーワードを源氏にしたまでのようだった。
まあ、それでもいいのだが、なんとなくつまらない。それでいろいろと調べていたら菅原孝標のむすめが「更級日記」に源氏全巻を送ってもらって大喜びする記述がある。その年は寛仁2年で、それは西暦1021年なのである。源氏が書かれたのは1008年ころと言われているから13年後、まだ紫式部が存命のころ、全巻そろいが市中に出回っていたということである。「更級日記」以前、いつ頃全巻がそろって箱に入って人から人へと贈り贈られしたのか不明だが、2021年は孝標のむすめが全巻手に取ってから1000年であるという事実にしばらく興奮した。wikiなどで調べてみたら「源氏物語」は1021年初版と明示されているではないか!
ならばこの能と雅楽の二つの公演を「源氏物語初版千年」というキーワードでくくろうということになった。
そんなわけ「源氏物語」与謝野晶子訳と林望訳をオーディオブックで聴いた。与謝野訳は意外に現代語が多く、短縮していることもあって少し物足らない感じがした。林望訳には期待していたが、現代語や現代的な言い回しが気になった。荻原規子「紫の結び」と改題されたものは巻の順序が変更されているような橋本治以上の「翻案」版で、おもしろく読んだ。大塚ひかり版を読みたかったのだが、雅楽公演が終わるとわたしの源氏熱も少し平温に戻ってしまった。
いちばん面白かったのは「彩の国さいたま芸術劇場」で9年53回にわたって、全巻を解説、原文抜粋の朗読という企画をすべて収録したものをオーディオブックで聴いた。彩の国で一日分ごとなので、オーディオブックでも53巻の圧巻である。
解説が三田村雅子、原文朗読が幸田弘子というこれ以上ない二人である。
わかりやすく、専門的でもある。なにより幸田さんの読みにひきこまれる。
源氏物語の映画も何編か観た。いちばん面白かったのが堀川とんこう監督、紫式部を吉永小百合、光源氏に天海祐希。冒頭で式部の夫が越前の海岸で異国の海賊に襲われて死ぬ、というもの。貴族たちが太刀を振って戦うシーンが平安貴族のイメージを崩してくれる。
源氏物語には戦闘シーンは出てこないが、武家が平安貴族の末端から台頭してくるのだから、勇ましい貴族も多くいただろうことをあらためて思い起こされるシーンだった。源氏物語は宇治十帖がいちばん面白い。
なさけない青年と自立できない娘を辛らつな目で描写し、その家族たちも、実は浮舟を救った僧でさえ、愛情に欠けているとしか思えない。
現代小説家のように同時代を冷徹に見つめ、現代小説家のように、どうしたら良いのかは示さず、結末めいた文章を使わずに物語は終わる。源氏物語の終わり方は「物語」ではなく、「小説」と言えるかも。
浮舟は、最後の最後で、薫を拒否することで自立の兆しを見せる。「自立の兆し」は明石や女三宮でも見出されるが、浮舟は「書く」ことに自分を見つめる景気を見出している。これはそのまま紫式部自身の生き方でもある。
そうだ、源氏物語初版千年の二つの古典企画はどうだったのかも書いておかないといけないのだ。
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「風の谷のナウシカ」再び
http://nekokane.exblog.jp/31269268/
2020-07-13T15:32:00+09:00
2020-07-13T19:49:37+09:00
2020-07-13T18:05:57+09:00
kanekonekokane
映画
1984年公開。だから、36年たつわけである。小学2年くらいのちひろとまだ保育園に通っていたみずきと妻の4人で、松本市四柱神社の境内にあった会館で観て以来の映画館での観賞で、ちひろと二人で行くことになった。
子どものころ「白蛇伝」を観て大きく心を動かされた。いつくらいの映画だったのか調べたら1958年だから、わたしは9歳だった。わたしの母も父も映画が好きで、幼いわたしを連れ、母は買い物かごをぶら下げて映画館によく行った。今でも覚えているのが東映時代劇「新伍十番勝負」シリーズ。これはたぶんシリーズ全編観たかもしれない。母は大川橋三が大好きだったのだ、「ハシゾウ」という言葉は何度か母の口から聞いた覚えがある。当然「雪之丞変化」(橋三版)も。父とは「恐怖の報酬」とか観たが、今から思えば名作を観てきたわけである。「白蛇伝」は、わたしが「みにいきたい」と母に言った記憶がある。父も母も子ども向きの映画でなく、自分の観たいものにわたしを連れて行ったようで、そんなわけで、わたしがそういったのだろう。なぜのちに日本アニメの原点といわれる作品を観たいと思ったのか、その映画がすでに評判だったということをどうして知ったのかはよくわからない。
「ナウシカ」はその後、何度かテレビやビデオを観たが、コロナのおかげで新作映画の公開が遅れたため「一生に一度はジブリを映画館で。」というキャンペーンで映画館で観ることができた。誰でもそうだと思うが「風の谷」の「神話」が描かれた絵を背景にテーマが流れるとき、腕が羽になっている「鳥の人」が見えるところでフォルテになる。グッとくる。映画で語られているの「腐海」との共生である。すべてを朽ちさせる「腐海」の底では清潔な水が生まれ、人間によって汚された地球の再生を「腐海」はしているというのだ。「腐海」の臭気はストレートにコロナウィルスを思い起こさせる。ウィルスというものは生物にとって重要な役割を負っているというのは、現代の科学的知見だが、新型コロナウィルスも動物と共生していたものを人間がとりこんで、抗体反応でウィルスが強化され病原性を持ったのだろう。そのテーマについてはきょうはこれまでにしよう。あらためて観て、トルメキア軍の参謀「クロトワ」が印象的だった。シェイクスピアかと思わせるセリフ「うだつのあがらねぇ平民出にやっと巡って来た幸運か、それとも破滅の罠か」がいい。トルメキア辺境軍の皇女クシャナは本国からは疎まれていて、クロトワはその抹殺を命じられて知るのだが(映画ではこういう背景は語られない)、命令に忠実には従わない、というより不誠実な性格の故、本国の指示には従わない。そしてクシャナには距離を置きながらも敵対もしない。彼のこのセリフはその立場を見事に言い当てている。ほかにもクロトワとクシャナのセリフは古典的な面白さがふんだんにある。クシャナ「わが夫になるものは、もっとおぞましいものを見るだろう」とか・・・ナウシカにも風の谷の剣士ユパにも印象深いセリフはあるが、この敵役のふたりもそれにはかなわない。“負なるものに真実を見出す”というものが宮崎駿どの作品にも感じられるが、敵役のセリフに魅力があるというのは、そういう宮崎の生理ともいうべきものによるのだろう。映画の終盤、風の谷に王蟲が襲来する。避難する老兵士が「風がとまった」と空を仰ぐ。風が止まるということは世界が滅ぶという前兆である。このセリフを聴いて、平田オリザの「もう風も吹かない」を思い出した。平田オリザのこの戯曲の題名をナウシカから引用したわけでないだろうが、妙に符合が合う。「もう風も吹かない」には風の話題は出てこない(と思う)、平田自身もこの題名の説明をしていない(と思う)ので、もしかしたら、という勘繰りを入れたくなる。風、とは何だろう。「腐海時代」の風は、腐海の臭気を寄せつけない偏西風だが、それが止まれば臭気が近づくことになる。平田オリザの描いた「風の止まった時代」は、貧国になった日本がそれでも海外青年協力隊を派遣しようとしている未来である。貧国日本の「協力」という皮肉と派遣先での事業も矛盾、養成所で隊員として学ぶ若者たちの矛盾と苦悩が描かれているが「風の止まった時代」の若者が「それでもいわたしは行きたい」とつぶやくラストは、風が止まっても時代が止まったわけでもない、未来が消えたわけでもない、という静かなメッセージを伝えている。新型コロナの蔓延。今の世界はすでに「風が止まっている」のだ。
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脳は信用できない~テレワークで、やっと鵞足炎に気が付く脳
http://nekokane.exblog.jp/31260124/
2020-07-06T17:03:00+09:00
2020-07-06T17:03:58+09:00
2020-07-06T17:03:58+09:00
kanekonekokane
トレイルラン~ランニング
整体の施術でわかってきたのだが、鵞足炎を患っている左ひざに代表されるように「左半身の筋肉が張っている」と思っていた。
左大腿部外側の張り、左ひじの痛み、頭の左向きが90度いかない、と列挙してみればそうだろうと思っていた。
ところが整体の先生が右のほうが硬いと言うのである。
確かにそうなのだ、足の開きかたも右のほうが開かない。
では、なぜ左側ばかりに症状が出るのだろう、正確にいうなら左ばかりが痛みを感じるのだろう。
もちろん、右は患っていないわけでなく「無症状」なのだ。
脳というものは信用できないものだ、筋肉が硬くなっている方は症状を感じないで、別のところに痛みを感じる。
歯の痛みもたまにそういうことがある。
「右の奥歯の2番目が痛いのです」と訴えるが歯科医は「その歯の神経は抜かれているので、ホントは別のところが痛んでいるですよ」
なんてこった!
脳のネットワークというものはそういうものだ。
でも、どうしてそういう現象が起きるのだろう。
脳は我慢強いのかもしれない。
本来、右の膝も痛くなるべきだが、両方の膝が痛み出し、歩けなくなる事態を避けたのかもしれない。
痛み出したときは、左のほうが炎症が進んでいた。しかし痛み出してから、左足をかばって右足が頑張ったものだから、右の筋肉が硬くなっている。右もいたくなる事態なのだが、両方とも痛み出すことは脳としては回避したい、と「私」の生活行動を読み取ったのだろうか。
だいたい最も筋肉を酷使していた1月2月はハムストリングスが日常的に固まっている状態だったので、その時すでに「ケガ」状態だったのだ。
3月にコロナ災害で仕事が少なくなり、4月にテレワークになると、気持ちが緩み、カラダも弛緩してくる。脳は「ああ休んでいいのか」と思い、脳は痛みを「発見」したのだろう。
揖斐川と津屋川の締切提。堤防の突端、つまり揖斐と津屋合流点まで、家から7.5キロほど。
5月20日から今の接骨院に週一で通っているが、これまでいくつかの接骨院にかかったが、ここがいちばん「整体」に近い。
一月半たったが、確実に回復している。
ランニング、山歩きはまだだがウォーキングは5~10キロを毎日始めている。
梅雨明けには山を走りたい、秋には40キロくらいを走り、できれば高島トレイル80キロを走破したい。
御池岳。3月半ば。
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新型コロナウィルス・ガソク炎
http://nekokane.exblog.jp/31244168/
2020-06-24T23:01:00+09:00
2020-06-24T23:01:42+09:00
2020-06-24T23:01:42+09:00
kanekonekokane
トレイルラン~ランニング
5月の連休明けくらいで、出勤も始まりホールの事業も進んでいく。
無観客コンサートの配信を企画、大急ぎで何とか出来た。
でも、テレワーク明けの仕事については、また別の話として書こう。
それより、4月下旬から左ひざの内側が痛むようになった。この20度を超える急坂のランを5往復もしていたのだから、筋肉も悲鳴をあげる。
ランニングからウォーキングに変え、下りが痛むので平坦ロードにしたのだが、連休くらいからそれも我慢できないくらい痛くなり、接骨院に週一で通うようになった。
このままでは一生歩けなくなる、という予感が漂っている。どうしても直さなければならないし、治っても整体でメンテは欠かせないというのは確実だろう。何十年と使ってきた筋肉、ゆがんだカラダは簡単には戻らない、というか生涯戻らない。コロナと同じで、付き合っていかなければならない。
昨年の11月から田中先生というトレーナーについて始めた本格的に始めたランニング。この田中というコーチは、マラソン記録(2時間18分)はすごいのだが、コーチングができない人で、接骨師ながらどうも運動生理学もわかってない気がする。ひたすら10キロ走を特にアドヴァイスもなしに週一で行った。ただ伴走してぺーサーをしてくれるのでそのことは良かった。12回の約束であと2回残して休んでいる。
矢田英恵というコーチにもついた。笑顔がいい2児の母親でコーチングも良いしストレッチが重視されている。二人の子どもとも金華山をトレランしたりした。彼女つながりで、OKIランニングクラブのトレーニングにも出たりした。沖和彦コーチは大津の人で、関西なまりでギャクを連発するので、わたしとはずいぶん気が合う。それでかなり足の筋肉をイジメた。4月にアディダスのトレランシューズの一年おちのモデルを格安で買って、モンベルのトレランシューズと感じが良く似ていて、アウターソウルのグリップも硬さも気に入ったのだが、石津御嶽に一度登ったきりボックスで寂しくしている。Ultimate Direction 5Lのザックも買ったのに、まだ新品のまま。右のはaonijie3Lくらい、左はモンベル7L。さらに、ヘリテイジの情けないくらいに細く、使う気がしないくらい軽いポールも。
モチベーションを保つためには、いいアイコンになっているが、本当に早く使いたい。目標は梅雨明けに復活。
今の接骨院の若い施術師、中村さんについて少しづつカラダが変わってきた気がする。毎週欠かさず施術に通い、毎日ストレッチ、とくにストレッチポールを使ったストレッチをホンキになってやっている。]]>
新型コロナウィルス渦中
http://nekokane.exblog.jp/31238238/
2020-06-20T19:44:00+09:00
2020-06-20T19:44:58+09:00
2020-06-20T19:44:06+09:00
kanekonekokane
音楽
さすがになにかを書き留めておくべき日々がつづいている。コロナ以前の日々は書き留めて置かなくともよい、ということではないのだが、パンデミックはふつふつと湧いてくる思いや、誰かとなにかコミュニケーションといったものをとりたいという気分が湧いてくる。とはいうものの、ことを構えて話すというのでもなく、やはりブログを再開して、思ったことを書き連ねるのがいい、と思ったわけである。
仕事は、4月からひと月、テレワークになり給与面とかは影響がないので「安心」して事業の中止やらキャンセルやらの連絡が終われば、仕事らしいことはなく、読書、演劇などの配信動画の観賞、それに畑仕事ははかどった。3月20日ころに石原岡崎夫妻と桑名の三彩にご飯を食べに行った。桑名の街、ふるい城跡をさんぽ。春休み前から休校になった子どもたちが家族と公園で遊ぶ姿は心和ませる。そして昼間から飲む地ビールがうまい。
それからは外食はしていないし、呑み会、ショッピングモールでの買い物なども、この3ヶ月以上やっていないが、それは全然不便ではない、まあ図書館がしまっていたのは少しつらかったかな。オンラインミーティング、呑み会も何回かやり、こういう生活もわるくない、まったく、という感じである。先日やっとサ~ラン(ホール事業部のラン仲間)でエミノアのハワイアンカフェKONA'S COFFEEで“ノーラン・オフラインミーティング”でハワイ飯を食べに行ったが、ホントにひさびさで楽しかった。一方で照明、音響、大道具とかの舞台スタッフたちは、どうしているのか心配である。フリーでやっている連中もだが、スタッフ会社はたいへんなことだろう。5月から出勤。サラマンカ少年少女合唱団に稽古再開を巡っての調整やラインレッスン、「ポストコロナ」にむけての企画や既定の企画の練り込み、制作、オペラ稽古の調整をしている毎日である。忙しくしているが、ホールの使用がないので気分はゆったりとしている。5月17日に石原岡崎Piano Duoや亀井くんとか8組のアーティストを招いて、10分くらいの演奏を収録して、YouTube配信をした。急に決めたことだったが、よくできた。ポストプロダクトをめぐって、文脈の読めない音楽事務所(カジモト)などが重箱の隅をつつくようなクレームをつけてきたので、正直嫌気がさしたが、結果オーライで順調に「デジタルサラマンカホール」と銘打ったYouTubeチャンネルが立ち上がった。
コンサートのライブ配信、YouTube公開、こういうことがこれからのコンサート事業の柱の一つとなっていくのだろう。撮影、収録やライブ配信、ポストプロダクトのノウハウが必要になってくる。サラマンカホールでは新たに配信用の回線を設置することになり、配信機材もそろえる。そのあとはカメラとスイッチャーだね。 ]]>
エンデ『はてしない物語』~ほんとうに、はてしないのか?
http://nekokane.exblog.jp/30751908/
2019-08-22T21:20:00+09:00
2019-10-10T11:01:42+09:00
2019-08-22T21:20:38+09:00
kanekonekokane
本
『はてしない物語』 なんて魅力的なタイトルなんだろう。
「ほんとうの物語は、みんなそれぞれに、はてしない物語なんだよ」 そうなんだ、物語とは歴史のことだし、時間のことなんだ。そしてわたしたち自身が、みな「はてしない」のである。 しかし「始まりがあるものには、すべて終わりがある」とたしか映画『マトリックス』で誰かが言ったような気がするし、マルクスもどこかで似たようなことをいっていたと思う。そうすると「はてしない」ものには始まりもなかったのか、と思わざるを得ない。 「純粋な始原などはない」これは最近読んだ國分功一朗の『中動態の世界――意志と責任の考古学』のなかの最も印象に残る言葉のひとつだが、これは行為というものは意思から出ているのか?という問いに答えたもので、行為の始原となった意思を問うことの無意味さを論じている。すべての意志はそれに至る経験や外的条件があったので、だれも「純粋な自己の意志」は持ちえない、ということであった。ならば物語も純粋な始原などない、といえそうだ。 そうならば、始まりは求められないし、終わりも来ない。現在の行為は次の行為をかならず生み、その行為はまたその次の行為を生むのであるから。そうやって時間は永遠に行く。するとこの世界には終わりのあるものと、はてしないものがあるのだろうか。 わたし、わたしたちはどちらに属しているのだろう? 『はてしない物語』もまた、くり返しくり返しファンタージエンへと旅立つ人間によって救われ、それによって人間世界もまた救われてきたのだ。ファンタージエン自体も、始原が求められないくらい遠い時代から「おさなごころの君」によっておさめられてきたのだ。 しかし、ほんとうにそうなのだろうか? 「おさなごころの君」は死絶えるとき、人間が訪れて新たななまえを付けることでよみがえる、そうならば人間がこの宇宙にいなかったときはどうしていたのだろう。これはファンタジーなのだから、こういう疑いはしてはいけない、とわたしも思う。思うがやはりファンタージエンは無限過去から未来永劫へと「はてしない物語」を繰り返していたのだろうか?と問わないわけにはいかない。 バスティアンやアトレーユが思ったように、すでに決められていたこと(命を懸けたたかいとかも)を自分たちは決められていたように繰り返していたのだろうか?と思えてくる。もちろん「おさなごころの君」がやさしくいうように、すべてはわかっていたことだが、試練をくぐらなければ目的は達せられないのだ。 そして無限過去から未来永劫まですべては「君」に決められていたのだ、と書くと一人の神の存在を思い出さざるを得ない。世界を創造したいう唯一の神を。 それにしてもファンタジーはどうして封建的な王制の中の物語ばかりなのだろう。指輪、アリス、オズ・・・どこかに王がいなくてはファンタジーは成り立たないのだろうか? もちろん、王の出てこないファンタジーはあるが、絶対的な支配者というものがファンタジーでは大事な要素に思える。絶対的だから不条理も可能になるからであろう。まあ、しかしそう考えてしまうとファンタジーを楽しめなくなる、盗んだ本を抱えて学校の倉庫に入り込んだところからファンタジーの世界の入り口に立ちえたのだと、素直を楽しもうではないか。
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ジョン・海山・ネプチューンのダジャレ
http://nekokane.exblog.jp/30730255/
2019-08-07T22:44:00+09:00
2019-08-07T22:44:48+09:00
2019-08-07T22:44:48+09:00
kanekonekokane
音楽
9時というのに猛烈な暑さのなか、まさにけなげに咲ける真夏の花である。ホールにつくと職場体験の高校男子がもう来ている!さっそくホールツアー。それからリハーサルである。ニューヨークを拠点にしている「箏アンサンブルMIYABI」。
写真は沢井比河流の「夢の輪」のリハーサル。センターが主宰の石榑雅代。右がジョン・海山・ネプチューン。
「この尺八は竹から自分で作りました。買うとタケ―から」とか観客を笑わせるダジャレを連発。
ダジャレもうまいが、尺八もうまい。近く聞いていてもはるか遠い山から聞こえてくるような音が聞こえてくる。尺八と言えばかすれた音が渋くていいが、その風の音をこれ見よがしに聞かせる奏者もいる。しかしジョンは違う。音そのものに豊さ、滑らかさ、奥行もあって、かつ枯れている。
ブルース、メローなジャズに作曲した「プライムナンバーズ」「青竹」「西方浄土」はすばらしい演奏だった。
石榑雅代のソロ、沢井忠夫「翼にのって」。流れに気持ちよくなっていく音の連なり、岩に一度はとどまった川の水が、一気に流れ落ちるようなグルーブ感がとても良い。
やはり、和ものは好きなんだなあ。
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