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きょうも良き日


by neko

魔笛


 映画「魔笛」を見た。
 モーツアルトのオペラを映画化したものだが、第一次世界大戦の戦場を舞台にしている。
そして王子タミーノは将校として戦場で「大蛇」のような毒ガスに気を失う。(オペラでは、エジプトの王子は大蛇に襲われる)
 設定とせりふは原作とかなり異なっている(これはフツウの上演でもそういうことが多い)が、音楽はモーツアルトのままである(と思う)。

 序曲のシーンが印象的で、俯瞰しながら移動するカメラが、ワンカット(だと思う)で戦場の全貌を描いている。どこまでも続く草原、そこに掘りめぐらされた塹壕は切り傷のように見える。
 この序曲もそうだが、アリアやドゥエットの長い歌の場面もCGを多用して退屈にさせない画面にしている。

 この「魔笛」のリメイクで、いちばん面白いのはザラストロの描き方であろう。
 夜の女王と対立するザラストロは、ふつう神的なカリスマで、平和と愛を尊ぶ人格ながらも、むしろ尊大なリーダーとして描かれる。
 が、この映画では、彼は王国の主というより病院と作業所をあわせたようなコミュニティの指導者として描かれている。彼は仕事着を着て、自ら率先して労働する。

 オペラではザラストロの城に入り込んだタミーノが、はじめに出会うのは「弁者」であるが、映画では自らを名乗らないザラストロ自身なのだ。タミーノは作業服の彼がまさかザラストロとは思わず、彼のことを聞き出そうとする。
 夜の女王から、ザラストロにさらわれた娘のパミーナを救ってくれ、と頼まれていたタミーノ。
やがて高らかに音楽が鳴って偉大なザラストロ様の登場だと、合唱が歌う中で、ひろばの中に作業着のまま登場したザラストロを見たときタミーノの心は大きく揺らぐ。

 この「民主共和制」の指導者として描かれたザラストラは共感できる。
 とくに沖縄の「平和の礎」を思わせる戦死者の墓でのザラストロのアリアのシーンは秀逸だと思う。
 平和の王国を継承する運命をになったタミーノとパミーナは、超えなければならない修業として、敵対する夜の女王軍に向かって進軍する。だが、タミーノの手には銃はなく、「魔法の笛」をパミーナとともに高くかざして敵に向かう。後ろからつづく兵士も次々に銃を捨てていく。
 この武器を捨てた進軍に、夜の女王軍は恐れおののいて敗走する。

 おとぎ話のようなことに思えるが、戦争放棄の9条を持ったわたしたちの国の思いを描かれたようで、絵空事と思いながらも「本当はそうなんだ、殺されても殺すな、こそが平和を生み出す戦いなのだ」とわたしは思った。

 平和の王国を継承する若い夫婦の像が城のてっぺんに奉られる。「魔笛」を高く掲げ金色に輝くそれは、やがて民衆を見下し、専制的な社会主義になるだろう、という暗喩を含んで映画は終わる。

 見終わったあと「ゲド戦記」を思い出した。
 「ゲド戦記」を最終巻まで読むと、アースシー王権を継承した愛と平和の王「レバンネン」を、否定するような終わり方をわたしは感じるし、闇との戦いの果てに、世界に光と平和をもたらした勇者「ゲド」にも自己否定を迫っていると思えるのだ。
 映画「魔笛」と小説「ゲド戦記」には、「世界は平和であればよい」という単純な命題を超えて、平和の意味を問う共通のテーマを感じた。
 「光は闇の中にこそ、しかし光の中にはいつも闇が潜んでいる」のだと警告を。
by kanekonekokane | 2007-08-24 01:03