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きょうも良き日


by neko

伊勢音頭恋寝刃


 毎年夏休みに学生を連れて文楽を観るのが恒例になっており、2部の「鎌倉三代記」を30日に、3部の「伊勢音頭恋寝刃」を1日に観にいった。

 「いせおんどこいのねたば」は、辛抱強く、義理堅いまじめな「福岡貢」が、10人を斬り殺す過程を描いている芝居。
 貢の主人が探している刀は見つかったものの、「折り紙(証明書)」がない。それを隠し持っているのが遊郭「油屋」に出入りしている岩次。貢の恋人である遊女のお紺は、岩次から言い寄られている。お紺は折り紙を手に入れようと岩次に近づく。
 しかし貢は、お紺に裏切られたと思いお座敷に乱入する。

 岩次と遣り手の「万野」に悪口の限りを言われて、貢は油屋から追い出される。
 貢の悔しさは観客に伝わり、ぐっと我慢して下手にハケル貢に、わたしも胸をなでおろす。
そう、そこで刀を抜いたらお終いなのだ。

 しかし、2幕になって事態は急変する。
 油屋にもどってきた貢は、ふとした事故で万野を切ってしまう。貢の持った刀の鞘が割れて、本身が万野の肩にあたってしまった。動転する二人。
 貢は「南無三、手が廻ったか、もう百年目」といって、逃げる万野の髪の毛をつかんで胸を刺して殺してしまう。
 それからとり憑かれたように、つぎつぎに殺人を犯していく。
 夜の宿の玄関から、廊下、奥庭と舞台の鮮やかの明転(明るいままの転換)の見事さ。
 しかし、場面は凄惨である。手燭をもった手がとび、首がはねとぶ。
 なかでも、おかっぱの子女郎が何の事情も飲み込めないうちに、足を切られ、残った足でぴょんぴょんと数歩あるいて倒れる場面の太夫の語りと演技には凄まじいものがある。
 切られた足が客席のほうにとび、しばらく血のついた足が「けこみ」の上にのっているのが見えているのが一層悲惨である。
 それにしても、この貢の凶行は何なのだろう。
 刀の持つ魔力にとり憑かれたのか、
 血を見て狂ったのか、
 それにしては、最後にお紺がでてきてからはずいぶん理性的で、お紺に促されて、刀と折り紙を持って主人のもとへ走り去っていく。
 貢が狂気のまま、お紺との愛も主人への忠誠もなげうって、きらりと光る刀の魔力に取り付かれたまま幕が引かれたほうが、逆に論理が通っている気がする。
 幕は引かれたが、刀を受け取った主人は、子どもまで巻き添えにした貢の行為をどう受け取ればよいのだろうか、後味の悪いものがジンワリと上ってくる。

 やさしいはずの兄が気の強い負けず嫌いな妹を殺して死体を解体した、という事件があったが、この兄もどこかで理性が切れて「心身膠着」になっていたのだろうが、しかし事件を起こしてからの行動などは理性的なようだ。
 今はやさしい兄にもどっているのだろう、そうだとしたらよけいに妹への激しい憎しみの一瞬は、一層不可解なものである。
by kanekonekokane | 2007-08-02 15:57