カメラを持ち出してからずいぶんたつ。時間的にはベテランに属する。
古い私のカメラたちを写してみた。
右のはオリンパスOM-1の初期のもの。たぶん1980年だと思う。
この広角をつけたOM-1で撮ったものは、ほとんどが山のぼりと山の花だった。フィルムはフジクロームなので4分の1世紀を経た今も鮮やかな画像を残している。
プリズムのあたりの三角のてっぺんのところがへこんでいるが、剣岳の八ツ峰を登っているとき岩にぶつけたときのもの。いまでも電池を入れたら撮れる。立派!
左のは、MINON SIX。蛇腹式の6×6の中判カメラである。中古屋さんで買ってモノクロフィルムを入れて楽しんだ。すでにシャッターのテンションバー(もちろん電動でなく機械式なので)がかたまっているので、このままではシャッターが下りない状態である。
それから申し訳なさそうに、後ろのほうで写っているのは、SONYのサイバーショットDSC-P1 画素数330万は1999年あたりのコンパクトカメラでは驚異的数値で、値段も7万以上した記憶がある。もう電池がだめで電源をつないだままでないと使えない。
OM-1の入手以前、最初に買ったカメラは1978年NIKONのNIKOMATで、重いのでOM-1に替えた。その後、銀塩のペンタックス一眼を持ったり、やはり重いのでペンタックスのコンパクトを持ったりした。
デジタル時代になってSONYを持ったけど、「cameraの深み」には嵌まることはなかった。
GONNAという被写体を得て、撮る必要に駆られA200を買う。2005年夏、GONNA木島weekに向けてのことだ。それから一年もしないうちに、このcameraは製造中止。コニカミノルタがSONYに吸い取られ、A200も幻の名機となりつつある。
Digital XはGONNA用になって、山登りや旅のときはA200をもって行くことになるだろう。
Camera、再び。
ファインダーのなかに、何かを見つけようと思う。
古い私のカメラたちを写してみた。
右のはオリンパスOM-1の初期のもの。たぶん1980年だと思う。
この広角をつけたOM-1で撮ったものは、ほとんどが山のぼりと山の花だった。フィルムはフジクロームなので4分の1世紀を経た今も鮮やかな画像を残している。
プリズムのあたりの三角のてっぺんのところがへこんでいるが、剣岳の八ツ峰を登っているとき岩にぶつけたときのもの。いまでも電池を入れたら撮れる。立派!
左のは、MINON SIX。蛇腹式の6×6の中判カメラである。中古屋さんで買ってモノクロフィルムを入れて楽しんだ。すでにシャッターのテンションバー(もちろん電動でなく機械式なので)がかたまっているので、このままではシャッターが下りない状態である。
それから申し訳なさそうに、後ろのほうで写っているのは、SONYのサイバーショットDSC-P1 画素数330万は1999年あたりのコンパクトカメラでは驚異的数値で、値段も7万以上した記憶がある。もう電池がだめで電源をつないだままでないと使えない。
OM-1の入手以前、最初に買ったカメラは1978年NIKONのNIKOMATで、重いのでOM-1に替えた。その後、銀塩のペンタックス一眼を持ったり、やはり重いのでペンタックスのコンパクトを持ったりした。
デジタル時代になってSONYを持ったけど、「cameraの深み」には嵌まることはなかった。
GONNAという被写体を得て、撮る必要に駆られA200を買う。2005年夏、GONNA木島weekに向けてのことだ。それから一年もしないうちに、このcameraは製造中止。コニカミノルタがSONYに吸い取られ、A200も幻の名機となりつつある。
Digital XはGONNA用になって、山登りや旅のときはA200をもって行くことになるだろう。
Camera、再び。
ファインダーのなかに、何かを見つけようと思う。