
利用できる車を動員して200人以上が避難。最後の車では津波の轟音が後ろから聞こえていたとか。校長年生は迎えに来るかもしれない父兄に対応するため最後まで残り、翌朝、校舎の屋根から自衛隊のヘリで救出された。


どんな気持ちで積もった泥を洗ったことだろう。全員助かったといえども、家族には犠牲者が出ただろう。
学校の周りは原野のように何も残っていない。何も。

この花の向こうに浜が見えているが、夏草の間から家々の基礎だけが垣間見えていた。



ボランティアに行ったのは、誰かのためというより、自分のためだったかもしれない。
「わたしはあの時、何をしたのだろう」これは阪神の震災のときに抱いた気分だった。わたしの実家は神戸市東灘区だ。翌日に駆け付けたが今から思えば、もっといろんなことができた、、、
3.11から何か後ろめたい気分で過ごしてきた。どちらかというと、その気分を晴らすためのボランティアだったかもしれない。
この目で被災地を視る、被災者と言葉を交わす、この手で泥を掻き出す、、、、少しづつでもオレでも何かができるという気持ちになってくる。
その後、コンサートホールで働く私には「音楽、音楽ホールは何のためにあるのか」という大きな問いかけが、はっきりと見えてきたことは事実である。

# by kanekonekokane | 2011-11-11 18:37

このオルガンのあるホールに4月から企画の仕事に就いている。
2月に大学のオペラを降りて、すぐにこうして新しい仕事の場があるというのは、巡りあわせが良いということだろうか?悪いことなのだろうか?少しはヒマになると考えていたのに、、、、
地震があって心騒ぐ間、このホールの膨大な作業量に没頭している。
まず、前任者がたてた今年度のコンサート企画を実行に移さなければならないのだが、30近い事業のうち、フライアの納品までできているのが3公演、ブッキングだけはできているのが10くらい、未定のままや何も決まっていないのが10以上。
前半期のものをアーティストと打ち合わせしつつ練りこみパブリをし、コンサートを聴きにいっては埋まっていないコンサートの企画を立てていく。
その間に改革すべきことどんどん提案し実行していく。
腹立たしいこともあるが、変わっていく楽しさもある。
デスクのPCに「働きにきたのだはない、たたかいに来たのだ」と書いた付箋が貼ってある。
# by kanekonekokane | 2011-05-28 10:34
もう五月か、
毎年2月に大学院生オペラの公演が終わるとほぼスケジュールが暇になって、沖縄だのソウルだの行くことが多いのだが、今年はGONNAの公演が春から続いているので飛び歩けない。

GONNAは、3月11日に岡山市内でライブ。
翌日、勝央町のライブにわたしは駆けつけることができた。
東北の地震は岐阜でもすごい揺れで、被害はかなりなものだろうとは思っていたが、想像をはるかに超えていた。
中国山地の小さな町は、なにも変わらない風情。
同じ時間に日本はとんでもない困難の入り口に立たされていたわけだ。

夕暮れ近い商店街。
帰りをいそぐ高校生。

旧い家並。
なにげない時間。
そういうことが決して「ふつう」ではない、ということ。
毎年2月に大学院生オペラの公演が終わるとほぼスケジュールが暇になって、沖縄だのソウルだの行くことが多いのだが、今年はGONNAの公演が春から続いているので飛び歩けない。

翌日、勝央町のライブにわたしは駆けつけることができた。
東北の地震は岐阜でもすごい揺れで、被害はかなりなものだろうとは思っていたが、想像をはるかに超えていた。
中国山地の小さな町は、なにも変わらない風情。
同じ時間に日本はとんでもない困難の入り口に立たされていたわけだ。

帰りをいそぐ高校生。

なにげない時間。
そういうことが決して「ふつう」ではない、ということ。
# by kanekonekokane | 2011-05-07 13:28

毎年、この日を心待ちにしている。
正月よりもずっと気分が改まり、今年も一年がんばろうという気分になる。
みんな、変顔で記念写真だ!
セーノ!パチリ

「わたしのひとこと」を書く。
これが出席の証しになる。
「おもしろい」の言葉が最高の励ましである。
授業と舞台は面白くなければ、ただの説教に過ぎない。
# by kanekonekokane | 2011-04-20 21:49

それが今年2月で終わった。
62歳という年齢は十分現役なのだが、舞台裏で働くというのは、あまりいい事ではない。
バミリ(舞台に小道具をおく位置などの印)に書いてある文字がみえなくなる、ビニールが溶ける臭いに気づかない、人に聞こえている音を聴きのがす、、、、
自分では気づきにくいこういう事が重なってくるといつかは危険なことになる。
大学オペラが終わって、すぐにGONNAのツアーが始まり、何かが終わったという気分はない。
# by kanekonekokane | 2011-03-09 23:15

合掌作りの家を見て、飛騨コロッケを食べる。


今はなかなか見られない厚いレンズの眼鏡。
「どこからきた?」「名古屋の方からです」「そか、わしも名古屋で働いていて、今はここで仕事している、ありがてえよな、81にもなってこんなに仕事がでけるなんて、あはは、、、オッ若けえのが戻ってきた」
若い人が外から戻ってきた。

ほんとうに若い人だった。

木をそいでテープ状にしたモノで篭を編んでいたお年寄り。
「手ではいだもんで作ったのは座っても壊れねえ、それそこのそれ、座ってみろ」
「おお、スゴイ、これはいくらですか?」
「それは売れねええ」
色つやの良い顔を崩して笑う。
爽健美茶と栄養ドリンク。
わらびなんかを撮りに行くときに腰にぶら下げる篭を一つ買った。
# by kanekonekokane | 2011-02-10 23:49

神戸市東灘の実家までは阪急御影から急な坂道を登って行く。
甲南病院の構内を通って、さらに坂道をあがっていくのだが、いつもこの慰霊碑を目にする。
病院のスタッフだった被災死亡者2名の名前が刻まれた黒御影石。
寒さにしおれた花束。
そうか、117だったんだね。
# by kanekonekokane | 2011-02-05 11:39

わたしも歩くのが好きだが、この長蛇はなんだろう。
立ち止まったり、路傍の石仏も落ちついて眺められないではないか。
せっせと歩くことも一つの歩く楽しみだと言うことも知っている。それでもこの軍隊のようなのは楽しくはないだろう。
# by kanekonekokane | 2011-02-03 13:09

この人形はカルメンである。
毎年、何人か得意な手業を持っている学生がいて、こんなモノを作ってしまうのだ。

課題はカルメン。

この模型もカルメンなのだが、よくわからない、というのが正直なところ。
しかし、小学校以来、忘れていた手作りの感触を学生たちは面白がる。
そういう授業もありかなと思っている。
# by kanekonekokane | 2011-02-03 13:01
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