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きょうも良き日


by neko
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千畳敷でスノーシューイング。
日曜日の登山客が降りてきている菅の台バスセンターの駐車場に3時少し前に着いて、最終のバス、ロープウェイを乗り継いで4時過ぎにホテル千畳敷に入る。
天気が良く、富士山が見えている。
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ホテルの料金は、バス、ケーブル込み2食付き9800円。夕食は豚汁、朝食は夜のうちにおにぎりが渡される。山小屋の個室に比べても安い。しかも風呂付である。
その格安プラン以外のホテルの客はタイやシンガポールからの観光客が多い。この手軽さで岩稜の雪山を見られるのは、アジアではもちろん、世界でもヨーロッパアルプスを除いてはそうはないだろう。
翌朝、少し雲が出てきているが、ほぼダイヤモンドフジ。
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サギダルのほうへ足慣らしで歩いてから、カールの淵をあるいて、前山への尾根、和合の頭の方向にあるダケカンバの疎林に入る。枝を避けながら、ジグザグに歩くのもスーシューイングならでは楽しさ。写っているのは同行のわが娘のChihhy。昨年美ヶ原、上高地と一緒に歩き、今年アトラスのスノーシュー、ストラタス エレクトラ23を買った。私のはMSRライトニングアッセントだが、やはり山岳用としているだけあって、20度を越すくらいの斜面では差がつく。
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浄土乗越が雪崩の危険があるときは、このダケカンバを抜けて尾根筋を登るらしいが、岩稜なので雪崩の心配は少ないが、ザイルが必要だと思う。
浄土乗越へ続くトレールへトラバースして、いけるところまで登ったが、3分の一くらいのところで限界。これ以上はアイゼンの世界である。
モホモホのパウダースノーをすべり下りる。痛快。特にストラタス エレクトラはこのいうときは良い。Chihhyも気持ちいい!を連発である。
朝日がすっかり昇ると、風が少し出てきてうっすらと雲も出てきた。
9時半にホテルに戻ると一番のロープウェイの客が登攀の準備をしていた。
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# by kanekonekokane | 2016-12-30 01:34 |

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オペラ「魔笛」の冒頭で王子タミーノは大蛇に襲われて気を失う。
そして、たまたま通りかかったパパゲーノに助けられたのだと信じる。
どう見たって、太陽の神殿に拉致された娘を救う勇気と能力には欠けていると思うが、娘の母「夜の女王」はなぜかこの情けない男に娘パミーナの救出を願い出る。
女王には大蛇を一撃に退治できるダーメという3人の女兵士がいるでないか?
おまけに敵対するものの戦闘意欲をなくし、困難をはねのける不思議な力のある「金の笛」=「魔笛」と「銀の鈴」を持っているではないか?
ダーメにこれらを持たせて、パミーナを救いに出させれば、簡単だったのではないか?
女王は目の前でパミーナが拉致されているが、その時、魔笛と鈴はなかったのだろうか?ダーメは留守だったのか?

とまれ、女王は非力ではあるが、誠実で人を疑わない優男が、娘を救うのにふさわしいと直感したのは間違いない。だから助け出した暁には娘をお前にやろうとまで言ったのだ。優しい男を待望していたのは女王自身であり、娘の結婚相手、つまりは自らの後継者にふさわしい人格だと思ったのである。
優しい非力な男が運命を切り開き世界を変えるのは、物語世界ではよくあることである。「小さきものが世界を救う」と「指輪物語」のなかでエルフの姫アルウェンが言ったような気がするし、日本の古代でも大国主命は兄の言いなりになるがままの優しい。弱きもの、小さなもの、兄ではなく弟が物語のホーローになる、という寓話の普遍性、世界性の深いところの意味はさておき、「魔笛」でもこの話型が使われているのだろう。

夜の女王が、なぜ金の笛と銀の鈴を自ら使わないのはなぜなのだろう?オペラ「魔笛」の原作ではパパゲーノとパミーナがモノスタトスが率いる奴隷たちに襲われたとき鈴を鳴らすと奴隷たちが踊りだして、二人は助かるのだが、この時二人は二重唱でこう歌う「勇者が、この鈴、手にすれば 、敵は苦もなく 、逃げていく。でもその鈴がなかったら、 仲良くすることできないよ。友情込めて仲良くすれば、 こころの苦しみ、和らぐよ。もし思いやり無かったら 地上に幸せ、あり得ない」と。
ここに夜の女王が鈴を使えない理由がありそうだ。勇気がないのか、友情込めて仲良くできないのか、のどちらかなのだろう。

先日、サラマンカホールで池山奈都子演出、倉知竜也指揮の「魔笛」をみた(見たというより、私が主催側の制作担当者なので稽古から付き合っていたのだが)。そこ箇所の字幕(池山訳)では確か「よき人が持てば}とされていた気がする。こうなるとさらになぜ夜の女王が銀の鈴を使えなかったのかは明確かもしれない。

しかし、待てよ。夜の女王はよき人ではないとは決まっていない。娘をザラストロに拉致されて苦しみを述べ、助けを求める場面では決して悪人ではない、ただ歌の異様な雰囲気からすると、ヒステリック以上のものを漂わせている。しかし、なお苦しむ母親である。2006年、ケネス・ブラナーの映画「魔笛」では、夜の女王をタミーノは抱いて慰めている。

魔法の笛はもっと不可解である。パミーナはその笛を「わたしの父が古い木から降り出したものだ」と証言する。夜の女王が結婚していたかどうかは不明だが、少なくともパミーナは女王、パミーナの父である男の間に生まれた娘である。猛獣ですら心やわらげ、悪をいさめ、人を平和にする笛をその男が作ったことになる。魔笛が女王の手元にあったのだから、たぶん夫だと考えたほうが自然である。では、その夫とはいったい何者なんだろう。少なくとも銀の鈴の由来から類推すると、彼は勇気がありスピリチャルな力を招来できる人格のもち主に違いない。
娘がさらわれたとき、父親は不在だったのは疑いのない事実だろう。もし一緒だったら笛を吹いて(あるいは鈴を鳴らして)、拉致をあきらめさせただろうから。不在だったというより、女王家の一員でなかったのだ。男は死んだのか、夜の女王と別れたのだろう。

このような男といったんは結ばれた夜の女王を根っからの悪人と決めつけるのは無理がある。スピリチャルな男に惚れた「人を見る目」があるからタミーノに信頼を寄せたばかりか、どう見ても頼りないパパゲーノにも動向を命じたのだ。この女王がザラストロの本質も見抜いていたとすれば、ザラストロこそ悪人であるのかもしれない。
彼は女性蔑視の思想を隠さないし、パミーナを犯そうとするようなモノスタトスに彼女を任せたのも「任命責任」「監督責任」が問われべきである。
パミーナを拉致した理由が「あの女のもとにいたらだめだ」というものだが、これも身勝手なものであろう。
しかし、物語は不思議な展開をする。拉致されてザラストロの家来に暴行されかけ逃げたことをパミーナはザラストロに詫びるのである。
タミーノに至っては、ザラストロの貸した試練を疑問も持たずに受け入れる。
よほどザラストロのオーラが神がかっているとしか思えない。事実オペラの中ではライオンにひかれた乗り物に乗って仰々しく登場する。
没収した鈴と笛はタミーノとパパゲーノに返されるのだが、ここでパミーナの父とはこのザラストロかもしれないという推理が成り立つ。
そうだとするとすべては解決するように思える。
離別した夫婦の間で娘を取り合いをした、と言ってしまっては矮小化しすぎるのだが、そうであるなら「善」であろうとするザラストロの拉致行為もとりあえずは筋が通っているし、見ず知らずの若い恋人の二人に寄せる信頼と愛情も納得できる。
そして、この元夫婦を「善なるもの」と「悪なるもの」だとすると、「魔笛」の世界が急に見えてくるような気がする。
善悪の調和こそが世界なのだ。どこかで「善」「悪」が離れ、対立して世界が不幸になるのだ、と。

オペラの結末は、試練というものを経て何かを勝ち得たタミーノとパミーナ、試練には耐えられないパパゲーナもパパゲーナを得て幸せになり、夜の女王とモノスタトスは地獄に落ちてしまう。
善悪の調和こそが世界なのだ。という割には、勧善懲悪、予定調和ではないか?本当に王子と王女に世界は任せられるのか、二人は仲たがいしないという保証はどこにあるのだろう。子どもをたくさん作るとうたったパパゲーノとパパゲーナの幸せは、この次代の支配者の在り方にゆだねれているのではないか。
もしかしたら、クナーベという幼き者たちは、女王にも信頼され、ザラストロの城でも自由にふるまっている。戦いもせず天使のごとく、ここぞというときに行動する。この者たちこそが世界を救うものなのかもしれない。

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# by kanekonekokane | 2016-12-26 20:35 | オペラ

養老山地~ダイラ~


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ダイラというらしい。養老山の北側にある表山、裏山という山の北に広がる平らな地形である。
この日は勢至の部落から行平尾根を登り、石灰岩が露出した峰を越えてダイラに入った。
600mほどの山とは思えない深さ、美しさ、趣がある。

最近、養老山地をよく歩くようになった。もともとトレーニングで私のうちから石津御嶽の五合目に上るということを週3回くらいやっていたが、時間のある時は石津御嶽山頂まで行くし、そこから南へ多度のほうや、北へ桜番所のほうまで走る。
養老の主稜線は林道を避けたり、県境の標識をたどったりで枝道が多く派生しているが、だいたい明確にトレイルはある。しかし支稜線になると、国土地理院2万5千分の1図にある点線はそのままではない。ちなみにわたしのトレーニング道である御嶽神社の参道はなぜか地理院地図では記されていない。
そんなわけで、ヤマレコなどにも記録のない尾根に少しづつ興味が出てきて行平尾根を思い立ったのである。

養老の滝の至近にある駐車場へいく道路の途中に表山へのトレイルヘッドがあるが、そこに自転車をデポして、車で移動。石畑と勢至の境の谷の堤防に車をおき、東海自然歩道から行平谷の南支流に入り、尾根を適当に上る。GPSと地図の点線は一致しないので、歩けるところを登っていく。
点線の道はほぼ消えている。

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痩せた尾根と浅い谷が構成する複雑な地形。
写真はやせ尾根の幅以上に木の根が張っている箇所で、写真で見るより両側は切れ込んでいて、回り込むのに苦労をした。
次第に谷が食い込んで尾根が消え、谷を行くことになる。谷は落ち葉が数十センチ積もり。それなり歩きづらい。
尾根、谷を繰り返してやがてダイラに出る。
GPSを頼りにルートファイディングを楽しめるいい山である。

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落ち葉に火が付かないように落ち葉を掻きわけて、アルコールストーブを置く。湯を沸かしてコーヒーを淹れる。
ただただ静かである。
それから裏山、表山、ふみ跡が残っている尾根を下って、自転車を拾い車に戻った。

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# by kanekonekokane | 2016-12-20 20:42 |

4年ほど、寝かせてあったブログを再開。

とくに何かがあったわけではないけど、やはり書き留めておくということは生きていく上で必要なことだ。

とくに何かがあったわけではない、と書いたが、1127.日曜日に、津の第七劇場と台北のShakespeare'sWild Sisters Groupの「罪と罰」、「地下室の手記」をみて、この感想は書き残しておきたい、と思い、じゃ、ブログにでも書いておくか、というわけである。

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 「罪と罰」は、演出の鳴海さんがトークで「骨格しか残ってない仕上がり」と言っていたが、原作の骨格に新しい肉がついて新しい「罪と罰」になっている。
 呑んだくれのマルメラードフが酒場で饒舌にしゃべるくだりで、服を脱ぎ棄てパンツそれも金ピカのビキニ一枚になってしまう。そして、ブタの被りものを被るのである。これだけなら「駄目な男の表し方」くらいで終わるのだが、彼が死んでしまってから、なおもこの姿で最後まで「狂言廻し」として出続ける。時にはラスコーリニコフの内面となり、時にはソーニャの母になったりである。さらに金貸しのおばあさんもブタであり、ラスコーリニコフを追い詰める予審判事も最後はブタの被り物である。これだけなら、傲慢なラスコーリニコフの目に映る「俗悪な者たち」はブタなんだ、となるが金貸しばあさんの妹、そうばあさんといっしょにいただけで殺される、ソーニャの友達のリザヴェータまでもブタなのである。
 そうなるとブタの意味は分からない、ましてや金ピカビキニはもっとわからない。ただ奇妙ないでたちの狂言回しがいるのは劇的な緊張と滑稽な緩みを与えてくれる。
いまだにあれらがなんであったかはわからないが、妙にリアルなブタの被り物がふと今でも思い浮かぶ。
 あれはなんだったんだろう・・・
 
 それぞれのカンパニーは、一人づつ女優を交換している。「罪と罰」のソーニャは台湾の女優が演じた。日本語のセリフに中国語で答える、という風である。これまでもそういうのはあったから、びっくりはしなかったのだが、「地下室の手記」で台湾俳優に混じった日本女優の使い方は面白かった。
 
 「地下室の手記」は、原作の一人語りをそのまま群読のカタチで演じるのだが、中国語のセリフの中にポツンと日本語の単語をいれたり、その逆だったり、同時に中国語と日本語のセリフを言ったり、日本の女優が中国語でセリフを言ったり、その逆だったり、脈絡なく英語になったり。つまりはセリフの内容を頭で追うことを少し拒否される。
 さらに字幕の書体、大きさ、色、縦書き横書きと変化して短い中国語を日本語に訳すと長くなるので字幕のカットが短いこともあって、字幕を読むのも拒否される。
 「頭で理解するな!」「コトバを信じるな」ということなんだろう。さらに衣裳を人形劇のように使ったり、振付のついた動きだったりで原作を短縮しただけともいえるが、演劇として十分に楽しめた。
 「地下室の手記」の何か新たなものを見出すことより、多言語演劇の面白さを十分に演出してみせ、セリフや字幕で何かを得ようと思う小賢しい観客に、演劇的な楽しみ方を教えてくれるものになっていた。
 特筆すべきは台湾の俳優たちの魅力的な声と美しい動きである。久々「俳優」というつややかなものを感じ取れた俳優群であった。
 もう一つ、こんなプロジェクトを三重県文化会館と台湾の劇団が成し遂げたのは素晴らしいことだと思う、3年継続らしいから来年が今から楽しみである。

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# by kanekonekokane | 2016-12-03 11:26 | 演劇

姫越山から芦浜


久々の更新
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ウバメガシの森。
南伊勢の姫越山(ひめごやま)
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やがて、中部電力の所有地である標識が出てくる
道の右側が芦浜原発予定地である
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芦浜を見下ろす
海跡湖が美しい。
見晴らす土地は、。すべて中部電力が原発の為に買収した土地
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看板までもが腹立たしい
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芦浜まで行くと古い神社があった
伊勢湾台風までは人が住んでいたらしい
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芦浜
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芦浜から錦港に抜ける峠道で
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錦港
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錦の中央にそびえ立つ津波避難塔
25m、東南海地震が起きれば、予測では最大22mの津波が来るという
換気扇の排気口らしきものが見えるが、あのあたりまで波濤が押し寄せるわけだ
芦浜に原発を作らせなかった南伊勢の住民は賢明である
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# by kanekonekokane | 2013-03-31 23:47

帰路


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バンクーバー空港。
2万年前にアリューシャンを渡ってこの地に初めて来たモンゴリアン。
20ドル札の裏にも印刷されている。
髭の二人がおしゃべりを楽しみながら磨いている。
そばに行って、これは何でできているの?と聞いたらコンコンと叩いて「ファイバーじゃないかな」と言い、自分の髭を触りながら笑って、私に「髭仲間だね」みたいなことを言った。

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アラスカ上空。
広大な雪原、丘の連なり、蛇行する川、凍った湖。
こういうところに降り立って歩いてみたいという気持ちにさせられる。
あの川が合流するところ、日の当たっている山の稜線、段丘・・・
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# by kanekonekokane | 2012-12-22 18:12


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バンクーバー近郊の森。
リン渓谷。
ジブリの世界。
深呼吸に良い森。
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巨大な切り株。
かつて森を切りつくしてしまった歴史が残されている。
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ここにも。
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# by kanekonekokane | 2012-12-18 22:10


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バンクーバーから島に渡る
シーズンオフのフェリーにはこのくらいの人しか乗っていない
やはり雨だ
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島というだけで空気が違う。
紀伊大島のようにたとえ橋がかかっていても、島の空気は陸の空気とは違う
ここまで来た、という感慨がそうさせているのだろうと思うのだけど
多島海の中にある南北20キロ東西6キロくらいの小さな島
針葉樹林、羊、鶏、小高い山々、小さな沢、港には、大きめのカモメ、そして小さめのカラス

遠くまで来たよね、と思う
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オーガニックガーデンで、若い女性がよそ見もしないで収穫をしている
ホウレンソウのようだがずいぶんと痩せている
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Salt Spring Sound Book Storeの前で、フェイクのクリスマスツリーを車に積み込んでいる女性、シャッターを切ったときはツリーはトランクの中だった
Salt Spring Sound・・・Good soundsじゃないか。
きっとレコードショップだったんだろうね、今は本屋、というより雑貨もあつかうカルチャーショプ
何とも言えない風情がある
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山の上から見た多島海の光景。
この景色を見たとき、グウィンの「Earthsea」(ゲド戦記)はここが舞台なんだ、と私は半ば確信した
ゲドもああやって小さなヨットを操って島々を渡っていたのだ

島々の間に入り組んだ海があり、人々をつなぎ、隔てている
狭い海峡だけど橋など一つもない、港も必要な数以外にはない
確かに森には人の手が入りすでに原生林ではなく、海は魚が豊かに育っているわけではない
が、ここには人と海と山の調和がある
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カナダのファーストネーションのモニュメントを模したもの。
この形は、「人」なんだろうね

夜の教会を通り過ぎようとしたとき、管弦楽の練習をしているのに出会った
島の名を冠した室内合奏団があるのだ
たった一万の人口、アマチュアなんだろうけど合奏団がある!
調和、そういうことだよね、生きていくってことは・・・・
深呼吸していこう、この島の空気を
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# by kanekonekokane | 2012-12-15 18:40

ソウル続き


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ソウルによったのは、バンクーバーに行く途中下車。
インチョンに11時半に着き、18時半バンクーバーへ飛び立つまでの実質4時間ほどの散歩。
ソウル駅の改札を出て空気、音、光の違いに、「日本から出てきた」という気持ちがわっとふくらんでくる。
バンクーバーより本当はソウルが好きなんだ、と俄然と思ってしまう自分がおかしい。
このごちゃまぜな都市が好きなんだ、と思う。
明洞大聖堂の尖塔とその前衛。
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南大門が修復されているかな?と思って足早に行ったが、まだすっぽり工事の建物で覆われていた。残ねん。
それから明洞でも一番ディープな界隈をうろつく。
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アジュマたちが口と手をせわしなく動かすうどん屋。
ここで饂飩を食べる。
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ソウルは急速に素敵になっていく。
ソウルスクエア(駅前の地下街)で。
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駅の地下道。
彼女は何を言っているんだろう
ふきだしに何かを書きたくなるね、「早く帰らなくちゃ」?「今日は寒いからマッコリだわ」・・・
センスいいよね。悔しいけど・・・
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# by kanekonekokane | 2012-12-06 19:08

ソウル


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ひさびさのソウル。
インチョン空港からソウル駅までの直通電車に初めて乗った。
トンネルが多くてバスのほうが楽しめるが、43分という速さは快適。
駅前でカン・ウギュに迎えられる。日本占領時代の独立闘争の英雄である。
駅自体がすごくきれいになって、ショッピングモールができている。
が、駅前には相変わらずホームレスとそれに近い人たちが多い。

キリスト教の布教宣伝が、なぜか日本語でされていた。日本人観光観光客への勧誘?まさか!
日本語は憎悪の対象から、カッコの良いイメージに変わりつつあるといっても・・・である。
日本を心底憎んだであろう、カン・ウギュの耳にあの日本語はどう聞こえているのだろう。
キリスト教の宣伝とは関係のないと思われるテントでは、ホームレスたちへ衣服の配給が行われていた。
11月の冷気のなか、黙々と整列する男たちをカン・ウギュは瞬きせずに見つめている。

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南山のふもとを歩く。
坂と階段の多い古い住宅街に、ギャラリーやカフェ、ゲストハウスがぼちぼち増えてきた。明洞の喧騒を嫌って、国立劇場やアニメセンターのあるこのあたりが、これからは若者が集まって来るのではないかな。

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階段を上りきるあたりで、犬を抱いたこのおじさんとあいさつ。
階段は、この子にはツライのだよ、みたいことをハングルでいったんだと思う。
「私もつらい」と下手な英語で返したが、おじさんは、にこっと笑っただけだった。
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# by kanekonekokane | 2012-12-02 16:23